西御門の蛇ヶ谷

神奈川県鎌倉市


ある人の娘が鶴ヶ岡八幡宮寺の稚児を見染めた。親の計らいで稚児は娘の家を訪ねるようになり、娘は喜びいろいろに心を尽した。しかし、稚児のほうはつれなく、やがて家に訪ねてくることもなくなってしまった。娘は恋破れ病の床に就き、はかなく死んでしまった。

親は泣く泣くせめて死後の幸せを祈って、いつか骨を信濃の善光寺に納めてやろうと小箱に遺骨を入れておいた。そして稚児のほうはというと、娘の死を聞きふさぎこんでいたが、気がふれたようになり家に引き取られ、座敷牢に閉じ込められるようになっていた。

そんな夜、稚児が座敷牢で女と話している声が聞かれた。両親が不審に思い覗くと、なんと大蛇が稚児の前にとぐろを巻いて、稚児はそれにこたえて何か話しているのだった。両親は恐ろしさに動けなかったが、大蛇のほうが気配を察して煙のように姿を消した。それから間もなく稚児は瘦せ衰えて死んだという。

稚児の葬儀の際、棺がばかに重いので開けてみると、稚児の死骸に大蛇がかたくからみついていたという。また、娘の家のほうでも、娘の骨を入れた小箱がうごめくので開けてみると、中の骨がみな小さな蛇になっていたという。

『かまくらむかしばなし』沢寿郎
(かまくら春秋社)より要約

追記

鶴岡八幡宮から北北東にのびる谷戸が西御門で、そのまた枝分かれする谷戸に蛇ヶ谷があるという(詳細位置不明)。話は『沙石集』巻第七・二「妄執によりて女蛇と成る事」そのもので、内容も土地で伝説化したというような変化もない。

まったく同じように、名越にある蛇ヶ谷も、中世説話の蛇の話の舞台とされるのだが(「名越の蛇ヶ谷」)、それぞれ原典には谷戸筋を特定するだけの記述はなく、なぜ各々の蛇ヶ谷が舞台ということになったのかははっきりとしない。

また、さらに扇ヶ谷にも蛇ヶ谷があり(「扇ヶ谷の蛇ヶ谷」)、鎌倉には三つも蛇ヶ谷がある、という話の一端でもある。しかし、これも地名の由来の話といえるのかというと、やはりはっきりとしない。