西御門の蛇ヶ谷

原文:神奈川県鎌倉市


ある人の娘が、鶴ヶ岡八幡宮寺の稚児の一人を見染め、恋いこがれていました。ところが幸いにも、その稚児は娘の両親がよく知っている人の息子でしたので、親同志で話し合い、稚児が時々娘の家を訪ねるように計らいました。

娘は有頂天によろこんでいろいろ心を尽してもてなしたり、時にはそっと思いのたけを打明けたりしましたが、稚児の方はその娘がきらいなのか、全然それにこたえる様子がありません。そしてそのうちに、いくら親たちがすすめても、娘の家へ訪ねて行こうとはしなくなりました。

胸をこがす思いが相手に全く通じないことを知ると、娘は落胆のあまり、どっと病の床につくようになり、それから間もなく報われない恋の悩みに身をこがしつつ、はかなくなくなりました。

娘の親たちは、泣く泣く野辺の送りをすませ、せめても死後の幸せを願うため、いつかその骨を信濃の善光寺に納めてやろうと、小箱に遺骨を入れて仏壇にそなえて置きました。

一方、娘をつれなく扱った稚児は、娘の死んだことを聞くと、やはり気がとがめたのか、しばらくふさぎこんでいましたが、その後だんだん、気がふれたようになり、様子もおかしくなって来たので、両親は心配して家に引取り、座敷牢へとじこめました。

ところが、ある夜、稚児がとじこめられている部屋で、男と女がひそひそ話し合う声が聞こえました。こんな夜更けにいったいどうしたのだろうと、不思議に思った両親がそっと覗いて見ると、恐ろしい大蛇が稚児の前にとぐろを巻いて、火のような舌をペロペロさせています。稚児はそれに答えるかのように、何かしきりに話しています。

その有様を見た両親はゾッとして身動きもできませんでした。でも、蛇の方ではいち早くその気配を知ったのか、まるで煙のようにパッと姿を消し、稚児の方は気を失って正体もなく倒れ伏してしまいました。そんなことがあってから、稚児は日増しに瘦せおとろえ、介抱のかいもなくついにあえない最後をとげました。

稚児を葬る日、棺がばかに重いので蓋をあけてみると、あの晩の大蛇が稚児の死骸にかたくからみついていました。

また、亡くなった娘の家では娘の骨を入れた小箱の中に何かうごめく気配がするので調べてみると、中の骨がみんな小さい蛇になっていました。

『かまくらむかしばなし』沢寿郎
(かまくら春秋社)より

追記