犬頭神社

神奈川県平塚市


徳川さんの話。家康は中原に鷹狩に来た。それで、磯部と笹尾という鷹匠の子孫の家や墓がある。その鷹狩のときのこと。犬を連れた家来が休んでいると、上から大蛇が下がって来て、家来を食おうとした。それで犬が家来に飛びかかるので、大蛇と気づかぬ家来の侍は、犬を斬ってしまった。

それから見ると大蛇がいて、犬は自分を助けようと飛びかかって来たのだ、ということに気づき、かわいそうなことをした、惜しいことをした、と犬を神社として祀った。犬頭神社というのが豊田にある。(中里)

平塚市史民俗調査報告書7『平塚(旧市域)』
(平塚市博物館)より要約

追記

犬頭は「いぬがしら」と振ったものを見るが、正確な読みは不詳。諏訪町の諏訪部神社に合祀され、犬頭霊神と祀られている。ただ、これはどうも同地に屋敷を構えた大久保氏が故地三州岡崎の糟目犬頭神社を勧請したものらしく、そうなら「けんとう」ないし「いぬがみ」神社である。

そして、糟目犬頭神社の伝説としては、この忠義な犬の話として、大久保氏の先祖になる「上和田城主宇都宮泰藤が鷹狩りをした際に」となる。平塚でも、現在諏訪部神社社頭にはそうあり、家康の鷹狩の話はない。

ただ、同地はすぐ北に大字御殿とあり、渋田川を少し遡ると鷹匠橋とあり、中原街道の終点にして家康の鷹場であったという話を好む土地柄だ。そしてまたの家康と大蛇の話もある(「検校屋敷の大蛇」)。忠犬の主人が家康(の家臣)になるのも良くわかる気風はある。

ところで「忠義な犬」という話そのものについてだが、相州にはほぼほぼ見ない話。領主・侍でなければ猟師が犬の主人となる話なので、丹沢山系に見えても良さそうなものだが。御嶽のおいぬ様の印象が強すぎるからだろうかとも思うが、郡内には山犬にもらった子の忠義な犬の話もある(「山犬と大蛇」)。