検校屋敷の大蛇

神奈川県平塚市


昔、徳川家康が、江戸と駿府の途中になる中原に御殿を造った。そのある夏、駿河大工たちが中原に向かい、箱根を越えていると、急に暗くなって大蛇が現れた。大蛇は江戸が見たくてならぬ、連れて行け、という。一行が、その大きさに困っていると、大蛇は小さな蛇に化けたので、カゴに入れて連れ、箱根を下った。

さて、着いてみるとそこは中原で、野原のようで、これが江戸なものかと大蛇は怒ったが、皆は家康様のいるところが江戸だ、と強弁し、大蛇もそれなら家康とやらに会ってみようと、御殿へ向かっていった。すると、ちょうど家康が鷹狩りにきていたので、大蛇はここが江戸だと思い込み、御殿の裏庭に住み着いた。

それで、家康が鷹狩りに来ると、大事な鷹が一羽二羽と消えるようになったが、役人たちも大蛇の仕業とは知らず、不思議がった。ところがある時、忍び込んだ泥棒が大蛇と鉢合わせ、腰を抜かして捕まって、大蛇のことが知れた。

家康は、大蛇を御殿の主にしようとも思ったが、その大きさには少々手狭であることから、中原下宿にあった検校屋敷へ移るよう、はからってやった。大蛇は死ぬまで中原を江戸だと思っていたかもしれない。(御殿)

『むかしばなし 続・平塚ものがたり』
今泉義廣(稲元屋)より要約

追記

家康が江戸と駿府の往復の宿としたという中原御殿の話。現在中原小学校があるあたりだ。大蛇は後に検校屋敷に移ったとあり、それが題でもあり、検校屋敷には大蛇がいる、という話が元であったかと思うが、その検校屋敷というのが不明。外記屋敷の間違いか。

ともあれ、全体的には何を言わんとしたのかよくわからない話だ。家康が大蛇の身の振りを慮っているあたり面白いが、屋敷蛇的な話なのだろうか。この大蛇は乱暴なことはしていないが、近くには人を呑む大蛇の話もある(「達上池」)。