山犬と大蛇

山梨県南都留郡忍野村


狩人が山犬の産んだ三匹のアカ(赤子)のうち、一匹をもらいうける約束をした。おこわに魚をそえて山犬の母に差し出し、三匹のうちの鳴かない一匹をもらって帰った。鳴かない子犬の方が性がよいのだ。

そして、狩人は子犬をわが子のように可愛がって育て、犬は立派に育った。あるとき、狩人とこの犬で山奥に狩りに行ったときのこと。日が暮れたので、大木の洞に泊まろうとしたが、犬が狩人の袖を咥えて引き、しまいには狂ったように吠え、引き出そうとするのだった。

狩人は、犬が狂ったのか、自分を喰うつもりかと思い、腰の出刃で犬の首を切ってしまった。すると犬の首は上に飛び、大蛇の喉に喰いついた。落ちてきてのたうつ大蛇を狩人は始末したが、それで犬が自分を大蛇から助けようとしていたのだとわかった。

狩人は泣いて悲しみ、翌朝犬を抱いて帰ると人のように葬式をした。それから、狩をやめ、六部となって犬の首を笈物に背負って、四国西国から全国を遍巡ったという。(南都留郡忍野村 須山まん)

『新版 日本の民話17 甲斐の民話』
土橋里木(未來社)より要約

追記

全国に見える忠義な犬の話だが、犬の主人は領主・武人かさもなくば猟師であり、これは猟師の側の典型的なものといえる。そもそもこの話が語られた意味というのもよくわからないのだが、猟師の場合は前提が語られることもあり(「赤松の犬の墓」)、それは頭に入れておきたい。

ところで、この話は相州にはほぼほぼ見ないのだが、こうして裏丹沢から道志道をたどって忍野まで来ると、こうあることになる。相州に見ないのは御嶽のおいぬ様信仰が強かった故か、と思うのだが、おいぬ様と近しく捉えられる山犬様の子をもらう、という開幕を見せるこの話は興味深い。