相原のでいらぼっち伝説

神奈川県相模原市緑区


富士山を背負ってきて大山に腰掛けたという巨人、でいらぼっちの伝説がある。相原に大変な力持ちの相撲取りがいて、大山に行って勝ち抜き相撲を取った。最後まで勝ち抜いたが、最後の一番の相手がでいらぼっちで勝負にならず、軽々抱え上げられてしまったという。

その後、でいらぼっちが相原の方に来て、残した足跡が川尻と相原の間の凹地だそうな。それから淵野辺の方に向かったといい、そういった「でいら窪」がいくつも残っている。また、でいらぼっちの下駄の歯に詰まった土を落とした「めいめい塚」などもある。

力持ちの話といえば、国定忠治が持ち上げたという、三五貫ある力石が花蔵院の門前にある。持ち上がれば一人前といわれる石だったが、軽々上げて投げ返そうとした余所者がいて驚かされたなどという話もある。

『増補改訂版 相模原民話伝説集』
座間美都治(私家版)より要約

追記

周辺でいらぼっちの足跡は、淵野辺駅周辺のかつての鹿沼・菖蒲沼の話(「でいらぼっち伝説」)を中心とし広がるが、こうして相原の方にもある。「さがみっぱら」の平野部は凹地形をもっぱらにいう傾向があるが、山が近づいて凸部の話が見えてくるのが面白い。

すなわち「めいめい塚」のこと。塚は現存しないが「まいまい(蝸牛)」の殻の形の意だろうとされる(落ち武者が各々の行く先を決めた場所、という伝説は別にあるが)。多摩の方の塚状のダイダラボッチの跡とつなげ考える一点になるだろう。

また、序盤の相撲取りの話といい、後段の力石の話といい、力持ちの話と並べ語る傾向が見える。必ずしも各地に共通する傾向ではなく、ちょっとした特色だろうか。これは近世の記録があり(「ダイラボツチの足跡」)、それがそう語っているから、という面があるかもしれない。