相原のでいらぼっち伝説

原文:神奈川県相模原市緑区


「でいらぼっち」のことは、淵野辺の鹿沼と菖蒲沼伝説のところで詳述するが、「大太郎法師」というのがなまったものだという説があり、富士山を背負って来て、大山に腰をかけたという巨人の伝説がある。

この相原の伝承では、むかしこの地にも大変な力持ちの相撲取りがあって、ある時大山(雨降山)に行って勝ち抜き相撲をとった。何しろ非常に強いので、だんだんと勝ち進み、とうとう最後の一番となった、その最後にあった相手が、なんと「でいらぼっち」であったのである。

のっしのっしと出て来て、太い孟宗竹を片手でぐいっとしごいて平たくし、それをがっしりと腰にしめて「まわし」とした。行司の軍配で、両者はさっとしきって取っ組んでみたものの、相手が「でいらぼっち」では、さすがの相原の相撲とりも手も足も出ない。軽々とかかえ上げた「でいらぼっち」は、破れ鐘のような声を張り上げ
「われをどっちへ投げたらええのか、こっちの谷へか。あっちの谷へか。」
と大山のてっぺんから左右の谷間を見廻した。

相原の方は、谷間へ投げられては、こっぱみじんになるので、恐る恐る
「投げなくてもよい。土俵の土へ身体がつけば負けなんだから、このままそっと下においてくれ」
と頼んで、やっと命は助かった。

その後「でいらぼっち」はこちらの方へやって来た。その時の足跡が川尻と相原との間の田圃の凹地であり、淵野辺の方へ向かって、今に「でいら窪」と称する巨人の足跡が、点々と残されている。そしてその時に下駄の歯につまっていた泥をはたき落したのが、前記のめいめい塚だというのである。なぜめいめい塚といったのか、そのわけははっきりしないが、おそらく塚が蝸牛の形に似ていたからであろう。

力持ちの話では、またつぎのような実話も伝えられている。この相原は最初に述べたように、かつては機業地として栄えていたので、資産家も大分できた。そのため用心棒として剣客や博徒なども入り込むようになった。

花蔵院の門前には、国定忠次の力石と呼ぶ大きな石がある(現在は本堂前に立派な台石にのっている)。忠次がこの地に来て持ち上げたと伝えているが、三五貫はあるそうである。部落の若者たちは、力だめしにかわるがわるそれを持ち上げ、上げられれば一人前とされたものであった。ある時旧家の小川さんのところに、大変に力のある男が泊っているという話を、村の若衆が聞き、一つおどかしてやろうというので、二人でこの石を花蔵院から四〜五百メートルもある小川さんのところまで、えっちらおっちら運んで行った。石をその男に見せると、ひょいと持ち上げ、二人を目がけて投げ返そうとした。驚いた若衆たちは一目散に逃げ帰ったという。この話の種になっている石は前記のように花蔵院本堂前におかれてある。以上の三話は井上正二氏よりの聞書である。

『増補改訂版 相模原民話伝説集』
座間美都治(私家版)より

追記