土橋の茶筅松

神奈川県川崎市宮前区


土橋の原台に茶筅松という大きな黒松があり、多摩川の向こうの瀬田の台からも見えたという。頼朝が茶会を開き、この松の枝に茶釜をかけたとか、頼朝がこの地の松の葉を茶筅に使い地に挿したものが茶筅松になったなどといい「新編武蔵風土記稿」にも記述がある。

茶筅松には主の龍がいて、夜になると影取りの池へ水を飲みに通ったという。龍の通ったところは作物が倒れ跡がついたということだ。この龍はあるとき天に昇ってしまったといい、主の去った茶筅松は勢いを失い明治初期に枯れてしまった。

『川崎の民俗』(角田益信)より要約

追記

明治に枯れた松に火がつき燃えてしまったといい(落雷で燃えたとも)、さらにその燃え残りも戦時中に切られてしまったといい、今はもう東名インター付近ということで跡形もない。燃える前に根元に八幡の石祠が祀られたというが、この祠は今は多摩区枡形の日本民家園に移されてあるそうな。

この松も「綱下げ松」などと並んで稲毛の七本松といわれた大松の一本だった。あと向ヶ丘 のしばられ松を加えて、七本中三本に竜蛇の話があったことになる。竜蛇の棲む、あるいは化身を竜蛇とする樹木の話は各地にあるが、こう並ぶのは珍しいかもしれない。

また、この龍が「有馬の影取り池」に通ったというのは覚えておきたい。影取り池の大蛇と別にこちらの龍がいて通った、ということなのか、両者が同じ竜蛇だったといっているのか不明だが。

唐木田の方にも影取り池があり、森と池を大蛇が行き来したという話がある(「棚原のヌシ」)。あるいは影取り池の主にはそういう性質があったものなのかもしれない。