堂谷戸の大蛇

原文:神奈川県横浜市旭区


むかし、わしの母親が子どものころ、下川井の五反田の家の隣に油屋と呼ばれる家があったそうだ。

いまはもう大きな道路になって、車の往来が激しくなっちまっただが。橋の名前だきゃあ、五反橋って呼ばれて残っとる。

この油屋のせがれが、あるとき、いつものように川へこえ桶を洗いに行っただ。この川は、帷子川の上流にある小川だった。「さぁーて、どのあたりにしべえか」ってんで、ふと見ると、いい丸太が川を渡ってるじゃねえか。「アレ! いいものがあるな。こりゃあ、こえ桶洗うにちょうどぐわいがええわ。」ってんで、その丸太の上に乗って、ジャブ・ジャブ洗ってるてえと、丸太がフィッ! と動いたんだって。

びっくりこいたせがれは、こえ桶放り出して、あわてて丸太からとび降りたんだそうだ。そのとたん、何か生あったけえもんにフウーッと息吹っかけられたような気いしたんだそうだ。

そうしたら、ナァンと、橋と思って乗った丸太は大蛇だったんだそうだ。

よくむかしの人がいってただがあ……。大蛇にパッと息、吹っかけられると、すぐにゃあ命は取られないけんど、長いこと病んで、たいてえは助からねえんだってよお……。

そんで、油屋のせがれも、フィッて動いたのが大蛇だってわかったとたん、丸太がいなくなっちゃったんでえ、びっくりこいて、あたり見回すと、スウーッと歩いた跡がついてたんで、ソーッとあとをつけていくと、長源寺のすぐ手前にある堂谷戸の池まで、その跡は続いていただって。

へえ、それっからっちゅうものの、油屋のせがれは、床についちゃって、長いこと寝ついちゃったんだそうだ。

そのあとでわかったことだがぁ、この大蛇は六角橋の大池の大蛇だったんだそうだ。

むかしは、てえげえの池にぁ、蛇よけのために、弁天様まつってあったんだがぁ……。この堂谷戸の池も、六角橋の池にも、弁天様がまつってなかったんだそうだ。

そんで、この大蛇は、六角橋の池から堂谷戸の池まで、いつもいったりきたりしちゃあ、人にわるさをしていただってえ、わしの母親から聞かされただ。

話者 上川井 矢島仙重郎(81才)

『旭区郷土史』(旭区郷土史刊行委員会)より

追記