まさかりが淵

神奈川県横浜市戸塚区


二百年ほど前、ひとりの木こりが滝に行って帰らなかった。死んだと思って家人が葬式をし、三年経った法要の日に、その死んだはずの木こりが帰ってきた。驚いた家人が訳を聞くと、滝壺にまさかりを落としてしまい、その底で機を織っていた絶世の美女に拾ってもらったのだという。

美女は自分がここにいることを絶対秘密にするなら、といって、まさかりを拾ってくれた。それだけなのに三年も経っていたとは、と木こりも驚いたが、その話をして間も無く木こりは死んだそうな。今も供養塔がその伝説を語りかけている。

『戸塚郷土誌』戸塚区郷土誌編さん委員会
(戸塚区観光協会)より要約

追記

深谷町の話とあるが、お隣汲沢町との境あたりになる。汲沢町地内として「まさかりが渕市民の森」が整備されている。整備が行き届きすぎて、主がいるような水場ではなくなっているが。

類話にはいろいろあって、滝の裏には大蛇が棲んでいたと前振りがあったり(現地解説・大蛇が機織り姫とは書いていない)、木こりの落したまさかりが魔物を退治してくれた礼に、滝の機織り姫が歓待してくれたのであったり(現地別の石碑文)もする。

ともあれ、各地に見えるヨキ(手斧)淵の話が戸塚にもあった、ということではある。ここで気になるのは、上に引いた中にもある供養塔(現存)なのだが、「彦八」なる人のものだとある点だ。

海老名市の鳩川のほうに、同じようなヨキ淵の話があるのだが、そこで鉈を淵に落とした人は「彦六」だった(「彦六ダブの話」)。この類似は偶然だろうか。相模と区切れば、この二つの話のみがはっきりヨキ淵の話といえるのだが、そこに彦八と彦六が出てくるというのは気になる。

なお、ヨキ淵の典型とは違うが、同じく旧戸塚区内であった、瀬谷区の三ツ境のほうには、鎌を取る池があった(「鎌取池」)。そう遠くなく少し変わった話があるということで、併せ覚えておきたい。