白神社

神奈川県横浜市戸塚区


何百年かの昔、しろんぼというところに真白な蛇が現れた。人々は神様のお使いだ、吉報だと喜び、白蛇を大切にした。

その夏。土地に神社がないことを歎いて、氏神の社を建てることになったが、誰を祭神としたものか、名をどうするか迷った。それで、春に見つかった白蛇を祭神とすることにし、白神社という名になった。

『戸塚郷土誌』戸塚区郷土誌編さん委員会
(戸塚区観光協会)より要約

追記

東戸塚駅から西に1.5kmほどのところに、今も名瀬町の白神社は鎮座されている。社伝としては安和の変に敗れた近江の人、近藤玄蕃介秀延なる者が落ち延びてきて創建したものという。

それで白蛇が現れ一帯を荒らしたので、闇淤加美(白神社祭神)が白蛇となって村民をいましめたものと思い、白神社を創建したともいう(神社庁『神奈川県神社誌』)。

どうも三つの筋がどうつながるのかよくわからない話とはいえる。ただ委細は不明だが、上の話に見る「しろんぼ」と呼ばれる土地があった、という点は興味深いところだ。

横浜市域に白蛇を守護神と祀る社寺は少なくないが(「三宝寺の白蛇弁天」など)、概ね弁天さんである。県下弁天でなくとも、諏訪であったりなんだりとするわけだが、ここ白神社は元来何の神であったろうか。

そのまま「しらの神」であったとすると、養蚕守護にそのような神が県央の方でよく祀られた(「弁財天社」)。蛇が鼠から蚕を守る故に、その眷属ないし化身が蛇であるとされることもある。

また、より単純に白山であった、ということも考えられるだろう。白山の使いが蛇という話も(例は多くはないが)なくはない(「白山神社の白蛇」など)。もし、白神社が真に独自に白蛇を祀ったというのでなければ、そのあたりが考えられそうだが、今の所そのような話は見ない。