真二つにされた大蛇を祀った話

神奈川県横浜市保土ケ谷区


昔、白根町あたりに大蛇が住んでいて、昼寝をしているところを猟師に鉄砲で撃たれ、真二つに切れてしまったという。それで上半身を川島の社に、尻尾の方を白根の社に祀ったのだそうな。川島の社は東川島町の弁天様だが、白根の方はお不動様近くの洞穴だろう。

また、少し違う話もある。旭区の川島町に猪子山のいいつたえで、そこは大きな蛙が沢山棲んでいたのだという。その蛙のことを猪子と呼んだので猪子山なのだそうな。そしてある年、洪水で大蛇が流れて来て、猪子山に棲み着いて、その蛙を皆食べてしまった。

それで、村人たちが大蛇を退治することにし、津久井の荻野村(愛甲郡荻野村のことだろう)の十兵衛という猟師に頼んで、大蛇を鉄砲で仕留めてもらった。やはり大蛇は真二つになったので、頭を川島で、尻尾を新井新田のほうで持ち帰ってそれぞれ弁天様として祀ったともいう。

『保土ヶ谷ものがたり』
記念誌発行部会編集委員会
(保土ヶ谷区制五十周年記念事業実行委員会)より要約

追記

川島町というのは旭区と保土ヶ谷区の両方にあり、話の猪子山(いのこ山・ほぼほぼ切り拓かれて住宅地となっているが)は旭区の川島町、そこから相鉄線の南側が保土ヶ谷区川島町となる。

このうち保土ヶ谷区川島町に葬られたという大蛇の頭なのだが、話に異動がある。概ね保土ヶ谷高校北の老人ホーム・かわしまホーム内にある蛇骨龍王弁財尊天のことだとされ、この伝説はその縁起でもあるのだが、上のように半キロほど東の東川島町の弁天様だなどともいう。

旭区側の話でも頭を祀った弁天は川島小学校近くだとあるので、東のほうだ。しかし、東川島の弁天というと「正観寺の弁天」のことと思われるが、その正観寺の大蛇が猪子山の大蛇だった、などという話は聞いたことがない。

また、胴・尻尾を葬ったという白根側の話にも異動がある。上では白根不動の洞穴(白瀧龍神の洞穴のことだろう)とあるが、弁天塚は保土ヶ谷区新井町の新井町公園近くの個人宅敷地内にある。

おそらく白根不動のほうはまた別の話と思われる。そちらはそちらで、龍が帷子川を上り下りして来ていたなどという話があるのだ(「白根不動の龍」など)。

なぜそのように葬った場所までに話の違いがあるのかよくわからないが、ともあれ今は蛇骨龍王弁財尊天の由来としておこう。なにせ、これは弁天であると同時に「おしゃもじさま」であったという点が大変興味深いお宮だ。

猪子山の大蛇はまた、山に入った木こり夫婦の嫁を呑んだので仇討に撃たれたともいうのだが(「古河谷戸の大蛇」)、そこでは大蛇がいた谷戸は「さかいの谷戸」と呼ばれたともいう。

おそらく土地の境を語った分割された大蛇の話なのだろう。その意味で、社宮司と祀られていたというのも大いに頷ける話である(「蛇骨神社」など参照)。

なお、猪子の名の由来が見えているのも興味深いところだ。猪子とは蛙のことだといっているのだ。元話には「その蛙はトノサマガエル・ヒキガエル・イボガエルなどといわれるもので、その蛙のことを猪子と呼んでいた」とある。

ちょっと現状他に例を知らないので迂闊なことはいえないが、猪子・亥の子が蛙を意味するということが広くあるようだと、猪と竜蛇の関係を考える上でも非常に問題となってくると思われる。