真二つにされた大蛇を祀った話

原文:神奈川県横浜市保土ケ谷区


父 それでは今度は、弁天様と蛇にまつわる話をしよう。
東川島町の竹間鉄工所のそばにある弁天様のお社は宝暦元年(一七五一)に建てられたそうだが、ちょうどその頃のことだろうか、今の旭区白根町のあたりに大蛇が棲んでいたそうだ。
ある日、その蛇は材木置場で昼寝を楽しんでいたのだが、それは暑い夏の日の事だった。一人の猟師がその大蛇を鉄砲で撃ってしまった。するとその弾丸は大蛇の真中に命中して、大蛇はそこから真二つにちょんぎれてしまった。人々は大蛇の祟りを恐れて社を建ててまつろうとした。そして、頭の方を川島の社に、しっぽの方を白根の社にそれぞれ祀ったということだ。
それで川島の弁天様のご神体は大蛇の上半身ということになっているんだ。
これは弁天様の近くに住む人たちの話だが、一方しっぽの方を祀ってある白根の方の人たちの話を聞いてみるとこういうことだ。
むかし、この辺一帯で大蛇が暴れまわって人々は大変困っていた。その蛇は普通の矢で射かけても死ななかったので、鉛の矢を打ち込んでやっと殺したというんだ。そのあとは川島の人の話と全く同じだ。

母 二つの地域に関係して両方から話が伝わることになると、すじは全く似通っていても表現のしかたがちがってくるのね。これは長い間に語り伝えられてゆくうちに自然に変わってきたのでしょうか。

祖母 それはまあ、すべての話についてそうだろうね。もともと川島と白根とは隣り合っている地域だから、むかしからいろいろと生活の上でのつながりがあったんでしょう。

晶子 白根の弁天様はどこにあるの?

父 お不動様の近くにある崖の洞穴がそれではないかということだ。
これに似たような話をもう一つ紹介しよう。
旭区の川島町にある猪子山にまつわるいいつたえとして、むかしその辺りに大きな蛙が沢山棲んでいたという。その蛙はトノサマガエル・ヒキガエル・イボガエルなどといわれるもので、その蛙のことを猪子と呼んでいた。
ある年雉子川に大洪水がおこって大きな蛇が流れてきた。そしてその蛇が猪子山に棲みついてそこに沢山いた猪子を全部食べてしまった。村人たちはこういう悪さをする大蛇を退治する計画を立て、津久井の荻野村(現在の厚木市、旧愛甲郡荻野村のことであろう)の十兵衛という猟師に頼んで、鉄砲で大蛇を打ちとめた。そこで猪子山の山主三村亀太郎の立会いの上で、新井新田の名主の中田某と川島の三村某の二人で、し止めた大蛇を半分に切って分け、そのときに大蛇の頭の方が三村某の家の方を向いていたので、これを三村が持ち帰り、しっぽの方は中田が持ち帰ってそれぞれの土地に弁天様として祀ったということだ。

祖母 今度は新井新田が一枚加わった形になったんだね。川島と白根と新井、この三つのそれぞれ隣り合った地域を結んで共通した話がいい伝えられたわけだね。保土ヶ谷以外の地域にもこのような話はあるの?

父 遠くはなれた地域ならいざ知らず、少くとも県内の範囲ではこういう話は聞いていないから、これはこの地域で生まれたものではないかな。

晶子 弁天様というのは蛇のことなの?

父 これは女の神様で、河の神、水の神というように考えられたらしい。むかしはいろいろの自然現象に神霊が宿るとし、山の神、河の神などが居るものと信じられてきたわけだ。そこで河の神ということから連想して、蛇は弁天様の化身と考えられたのだろう。

祖母 普通弁天様は河や池のほとりに祀られているから、新井の弁天様のあたりには溜池でもあったのかも知れないね。

『保土ヶ谷ものがたり』
記念誌発行部会編集委員会
(保土ヶ谷区制五十周年記念事業実行委員会)より

追記