古河谷戸の大蛇

神奈川県横浜市旭区


昔、猪子山の西あたりは山々に囲まれた恐ろしい谷戸だった。それで人は普段近寄らなかったのだが、明和元年、あるきこりの夫婦が山仕事に入った。ところが水汲みから戻らぬかみさんを捜した亭主は、見たこともない大蛇に遭遇し、その大蛇の口からかみさんの帯が垂れているのを見た。

無念のきこりは、ちょうど相模荻野の鉄砲の名人・治平が川島に住んでいるのを聞き、仇討を頼んだ。治平はその願いを聞き、猪子山に入ったが、何日かけても大蛇は見つからなかった。滝の水口の木の上で待ち構え、ようやく胴回り二尺、長さが二間半あろうかという大蛇を見つけた。

大蛇は一発の弾丸などにはびくともしない化け物だったが、治平は汗みどろになって戦い続け、どうにか大蛇の息の根を止めることができたという。しかし、その死骸はあまりに大きく、村人に頼んで胴と頭をまっ二つに切りはなし、胴を近くのさかいの谷戸に埋め、松を植えて弁天塚とした。

頭は川島に運ばれ、現在の川島小学校の近くに埋められ、祠が建てられた。胴を埋めた弁天塚のほうは、大正の初め頃信心に凝った婦人が弁天堂を建て、遠くからも人の来る評判になったという。

『旭区郷土史』(旭区郷土史刊行委員会)より要約

追記

場所は旭区白根と川島(猪子山があるのは旭区川島町)の間、猪子山西側の新井川が流れるあたりと思われる。弁天塚は新井町の新井公園近くの個人宅内にあるという。

頭は川島小学校近く(こちらは保土ヶ谷区の川島町)に埋められ、とあるが、そちらのほうではやや西の保土ヶ谷高校の北側にある蛇骨龍王弁財尊天の縁起とされる(「真二つにされた大蛇を祀った話」)。

こまかなところは保土ヶ谷区側で語られるその「真二つにされた大蛇を祀った話」のほうにもあたられたい。そちらでも津久井(実際は愛甲)の荻野村の猟師・十兵衛が大蛇を撃つのであり、元が同じ話なのは間違いない。