橋になった大蛇

東京都葛飾区


昔、小菅村の大木に蛇が棲みつき、いつしかその大木にも負けぬ大蛇となった。村人は大蛇を恐れて近寄らなくなったが、大蛇は人びとと仲良くしたいと思っていて、ある大豊作の年に押し寄せたネズミの大群を退治した。それで、大蛇と村人たちは、いっぺんに仲良くなった。

平和な日々が続いたが、ある夏、梅雨があけずに大雨が続き、川の水が溢れ村が押し流されそうになった。大蛇は木の上からこの様子を見ていたが、覚悟を決めると濁流に飛び込み、押し流されそうになりながらも、必死に泳いでその頭を向こう岸につけた。

目の前に現れた橋に、村人は夢かと喜び、皆で橋を渡った。しかし、最後の村人が渡り終えた時、力尽きた大蛇は八つに折れて濁流に消えてしまった。村中泣かぬ者はなく、その後大蛇を祀った塚を「こすげどん」と呼び、大事にしたそうな。

『葛飾の昔ばなし』
(葛飾昔ばなし研究会)より要約

追記

「小菅どん」と呼ばれた大蛇がいた、という話は足立区側でもされる(小菅駅は足立区になる)。しかし、そちらではそういう大蛇の噂があって、恐れられていた、というほどのものだった。

これが、小菅村そのものの方では、このように語られたという。仲良くなりたかった、というところを現代的な表現と差し引くとしても、小菅どんの名の塚があった、というのは目を引くだろう(塚がどうなったのかは不明)。

河川下流域の洪水に悩まされる土地には「水塚」などといって、緊急避難のための塚が築かれたものだが、あるいはそういう話なのか、とも思われる。立地的には、そのような塚が不可欠に見える所ではある。

また、蛇が橋になる話であるけれど、「人のために橋になる」という大蛇の話は存外に多くはない。多くは、丸木橋だと思って渡ったら大蛇で驚いた、で終わるか、そのせいで病んでしまうというような筋で語られるものだ(「若宮八幡の大蛇」など)。

大蛇が村人を助けて橋になったのには、もう少し信仰と直結した理由があったのじゃないかと思われる(「天王免のクロ」など参照)。土地柄ということでは、浅間塚のことではないか、という話になる。