小菅どん

東京都足立区


小菅駅近くの拘置所は、昔江戸幕府の籾倉で、非常用の米が備蓄されていた。そのために、近くには鼠が多く、これをねらった狐や狸、狢も多く、さらに大蛇までが棲みついたという。醤油樽ほどもあったという胴回りのこの大蛇を、人々は土地の名をとって「小菅どん」と呼び、恐れた。

ある時、お百姓さんが野良仕事の合間に一服しようと、道ばたの松の丸太に腰をおろした。するとこの丸太が動き出し、驚きよく見ると、それがうわさに聞いた小菅どんだった。お百姓さんはすっかり腰を抜かしてその場に座り込んでしまった、というような話がある。

また、綾瀬川と荒川の交わるあたりに正覚寺があるが、このあたりには小菅どんの通ったあとが、長々と筋を引いたように何本もあったということだ。それで、土地の母親たちは、子どもらにその辺りに近づかぬよう言い聞かせたものだったそうな。

『続・足立の語り伝え 六十六話』
加藤敏夫(足立区教育委員会)より要約

追記

小菅は葛飾区になるが、小菅駅あたりは足立区になる。ちなみに今は綾瀬川は中川に合流したのち、荒川に入る。正覚寺は葛飾区小菅一丁目。

ここでは話的にはそういう大蛇がいた、ということで、丸太と思ったら蛇だった、という枚挙にいとまないものだが、これが小菅から千住をはさんだ荒川区町屋のほうでも同じような大蛇の話が語られ、併せ見ておくと面白い(「槙の屋のおぢ」)。

また、当の小菅村の方には、その大蛇が大水の時に橋となり、村人を救ってくれた、これを祀った塚の名が小菅どんであった、という話があり(「橋になった大蛇」)、より深く土地の信仰と関係した大蛇であった可能性もある。