蛇山

東京都大田区


六郷神社の裏、図書館の筋前に六郷用水の入りの橋があって、ちょっとした小山があり、蛇山といった。ヤマッカガシ、青大将、マムシがいて、登ると穴から首を出すのが面白くてよく駆け足で上り下りした。

マムシが肺病の薬になるといって、捕ってくれないかと頼んだおばあさんがいた。それで、六郷神社の竹の先を割ってハサミを作って、首を出すマムシを捕まえた。一匹十銭くれ、端のうちは二十銭くれたものだ。

おばあさんはびんを持ってきていた。蛇は尻尾は持てるものだから、首をびんに突っ込んでしまえば、かならず中に入ってしまう。

『口承文芸(昔話・世間話・伝説)』
(大田区教育委員会)より要約

追記

六郷神社境内の東側に地名の由来でもある八幡塚があり(現存)、そのすぐ外の細い通りに「六郷用水物語」の碑がある。そこが話の舞台だとすると、蛇山とは八幡塚のことだろうか。もしそうであると、大変興味深い存在となる。

『新編武蔵風土記稿』によると、かつて六郷神社(八幡宮)の祭神三柱の内一柱が大変な荒神であったので、村民が神体を毀し埋めた、とある。それが八幡塚であるという伝説がある。

このことは相州の平塚(鶴峯)八幡宮の話、若宮が乱暴であったので追い出され、若宮は蛇の群れで仇をなしたという「奉遷塚と輿道」の伝説を直ちに思い起こさせる。もっとも、六郷側はその蛇山が八幡塚のことであれば、だが。

しかし、そうであれば六郷神社のお使いが蛇であるといわれること(「六郷神社のお使いひめ」)に関係してきそうだ。この六郷八幡のお使いが蛇であるという感覚は非常に強い。八幡一般にあることではないので、何か理由があるだろう。

また、お使いの蛇が殺したりしてはならぬと堅く戒められた存在であったのに対し、蛇山の蛇はあっさり捕えられ売られているので、感覚的には別物であったようであり、そこには注意が必要だろうか。マムシが神使いになることはまずないので、マムシは別ということか。

蛇を殺すと祟るというのは同地域でも盛んにいわれたことなので(「蛇の祟り」)、あるいは上の話のように買い手がついたりするとその限りでもなくなる、という感じなのかもしれない。

薬ではないが、多摩川の向こうでは、味の素が蛇でできているという風聞が立って、盛んに蛇が捕られたという(「味の素に蛇を買ってもらう」)。時代が変わって蛇への畏怖も薄れた、というような面も語っているのかもしれない。