お仙が淵

群馬県多野郡上野村


乙父沢(おっち沢)に、お仙が淵という深い淵がある。主がいるといい、村人たちは切った木など投げ込み、主を追い出そうとした。その時主は、願いを聞くからそんなことをしないでくれ、と頼み、以降人寄せの時に使う膳椀を頼むと、淵の主が貸してくれるようになった。

ところが、そのようなことも忘れられたころ、器量の良い娘・お仙のところに若い衆が毎晩来るようになった。心配した母が、糸を通した針を男につけるよう言い、その正体を知ろうとした。

男が帰った後、その糸をたどっていくと、糸は主の淵に消えていた。それから男は来なくなり、膳椀を頼んでも出なくなった。お仙は子を産んだが、蛇の子であり、淵に身投げして死んでしまった。それから淵を「お仙が淵」と呼ぶようになったという。

『多野・藤岡の蛇の話』
(土屋政江)より要約

追記

原話は「おっかさんが「どこの人だぃ」ってシンピャァして聞いても娘は、「シラニャァ」っゆうだと」といった調子だが、ここでは筋だけを要約した。お仙が淵が乙父沢川のどの淵であるのかは現状不明。椀貸し淵の話であり、蛇聟の話ではあるが、貸された椀を損なったが故に娘などが主に引かれる、というような直接的な関係は見られない。

一方、別伝があり、庄屋秘蔵の膳椀を壊してしまったお仙が、これを悔いて入水し、その淵で膳椀を貸すようになった、という筋もある(「お仙ヶ淵」)。これはお仙はもともと人ではなく乙父沢の大蛇だったのだ、という人々の了解となり、興味深い。

そしてどちらにしても、これは竜蛇譚に登場する娘の名が「おせん」であるという一例でもある。同上州の「千が窪の蛇」などから追われたいが、この名が各地で目に止まり、何かの暗示であるのだろうと思われる。