オセン淵

栃木県鹿沼市


昔、発光路に住んでいたオセンという娘は村の若者に恋したが、かなわず近くの深い淵に身を投げ死んでしまった。この淵をその娘の名からオセン淵と呼ぶようになったという。

参考:オゼン(お膳)淵
昔、上粕尾のある金持ちの家に奉行していた女中がその家で大事にしていたお膳を一つこわしてしまった。この女中は家の人に申しわけないと思い近くの深い淵に身を投げて死んでしまった。その夜村人が女中を探しているとこの淵に一枚のお膳が浮いていたという。いつしかこの淵をお膳淵とよぶようになった。

『粟野町誌 粟野の民俗』(粟野町)より

追記

今は栃木県鹿沼市となった粟野の話。後段の話そのものは典型的なものだ。一般にはこんな話を聞くと番町皿屋敷を思い出すだろうが、ああいう話が椀貸し淵の由来として語られる例は大変に多い。もしかしたらお菊さんも膳椀を貸すことがあるかもしれない。

今回注目したいのは、その淵の名が「おせん・おぜん淵」であるということ。これらが同一の淵のことなのかそうでないのか分からないが(発光路にはまた「ケトウ淵」という膳を貸す淵があるともいう)、「おせん」と「おぜん」が掛かるかもしれない、と町誌はこの二話を並べえて暗に示しているのだと思われる。

「おせん」というのも竜蛇の淵・椀貸し淵の話によく出る娘の名だが(「お仙が淵」など参照)、名のどこが竜蛇的なのかというとよくわからない。この事例は一つのヒントとなる。