本社の池 長野県佐久市 臼田町田口の広河原の一番深い池を、本社の池、または本穴とも奥の院ともいっている。村で人寄せのある時、膳や椀を何人前借用したいと、書面に書いて石を包んで池に投げ込み、明朝行って見ると穴の口に頼んだだけの膳や椀があった。 ある年、軽はずみなことをして壊したものがあったため、それから後は借りられなくなった。(広川原、農、市川小一郎72) 『限定復刻版 佐久口碑伝説集 南佐久篇』(佐久教育会)より 田口のもう群馬県境の奥に広川原地区はある。文中では単に深い池と見えているが、これは普通に思う池ではない。禅昌寺というお寺の背後に最勝洞・広河原洞穴群という多くの穴が点在しており、その穴底にある珍しい地底湖のことをいっている(本穴と奥の院とは別の穴、地底湖は本穴にある)。 穴の名にも、他に龍王穴とか蛇穴とかあって、竜宮とのつながりが意識されたらしくあるが、実際に弁天池と呼ばれる地底湖には「機織りの池」の伝説もある。実際機織機があったというところが目を引く。 さて、椀貸し伝説がまことに多い信州であり、もう集落ごとにそういった伝説・その場所を持っていたらしくあるのだが、その場所も滝淵・池沼・橋・岩・塚穴とあらゆるバリエーションが揃っている。最勝洞の洞穴は穴の中の地底湖と、その中でも象徴的な場所といえるだろう。ここを皮切りに、その数多い信州の椀貸し伝説を並べて見ていきたい。 椀貸し池などは、かつてそこに死んだ娘が貸してくれるのだ、などという筋となることがままあり、膳椀を実際共有するシステムがあったとすると、その由来として典型であったろうと思われ、重要となる(「多留姫の滝の膳椀」)。 一方、前後が逆転して、返さなかった娘がその池のヌシにとられる、という話も信州にもある(「底無しの池」)。こういった話にはその水場(および膳椀共有の)の主催者の更新が語られている可能性がある 水辺の話というと滝淵や池沼が舞台となるが、橋がその舞台となるという話もある(「椀かしの話」)。珍しい事例と思うが、それが境界で起こることだ、というならば、より象徴的な舞台といえる。 またそれが、井戸端を舞台とすることもある(「起因の井戸」)。井戸は滝壺などよりより端的に穴の印象に近づくものだろう。その所有者・膳椀共有の主催者の特定がより現実的に考えやすい事例でもある。 穴という場合は、自然の洞穴ばかりでなく、古墳などの塚穴もその舞台となる(「龍宮塚の椀貸穴」)。今竜宮というと海神水神の住まう宮殿を思うだろうが、昔話の中では端的に「あの世」と同意という印象も強い。 隠れ里という場合も多く、水から離れればその傾向は強くなり、そのままその名が舞台の穴の名となることもある(「かくれ里」)。つなげて考えるなら、隠れ里というのもあの世だろう。 こういった類例を見渡しておきたいだろうか。まだまだ単に膳椀が借りられたと語る小さな話や、特異な場所、シチュエーションの話など枚挙にいとまなくある信州だが、それらも上のそれぞれの話からさらに追って見られたい。 ツイート