昔、玉川村に仲の良い若い夫婦がおり、よく水を大事にする百姓だった。子どもらが水にいたずらすればすぐ叱り、家の清水には水神の石碑を立てて祀った。この夫婦には子がなく、お地蔵さんに子授けを願うのが日課だった。すると、願い通じてか玉のような男の子が生まれ、夫婦は大喜びした。
夫婦はぜひ皆を呼んで子の誕生を祝いたかったが、家は貧しく大勢に出す膳椀もない。仕方がないとあきらめていると、夢の中に白い着物の美しいお姫さまが立った。姫は、自分は多留姫の滝の水の精であるといい、いつも水を大事にする夫婦に、膳椀を貸しましょう、といった。
多留姫の滝は大昔にその名の姫が滝のきれいさに飛び込み死んでしまったというのでそういうが、目覚めた夫婦が言われたとおりに、紙に願いを書いて、白蛇のように流れる多留姫の滝の滝壺に投げ込むと、翌朝には願った通りの四十人前の膳椀が揃えられていた。
目出度くお客を済ませ、膳椀をきれいにして同じ場所に並べると、それは滝壺の中にすっと消えた。この話は皆に知らされ、村では重宝に願いを聞いてもらっていたが、あるとき悪い人が五十人前借りて四十九人前しか返さず、それより貸してもらえなくなったそうな。そのひと組の膳椀は村のある家に今も残っているという。お膳は、黒塗りで普通より大きく、お椀は、朱塗りに紫のふじの花の絵が、描かれているという。
茅野の名勝・多留姫の滝の伝説。滝壺に飛び込んだという多留姫とは諏訪明神の御子神であるといい、神さまだ。滝そばには祀るところの多留姫神社も鎮座されている。
椀貸しの話には、それを貸すのがその水場で死んだ娘だ、ということを語るものがあり、おそらく実際膳椀が共有された際の、その主催者の家の娘だった、という由来譚になっているのだと思われる。これは、それが土地の大枠の信仰にまで結びついて構成されている事例と見える。
これはその膳椀が現存する、という場合顕著で、その地の旧家名家が所蔵していることが多いのだが、本来は返さなかった、というわけではなく、その契約の証のような位置づけのものだったのじゃないかと思う。
なお、このように膳椀を貸すヌシは先立ってその水場に入っているのが普通なのだが、逆に膳椀を返さなかったために、その水場のヌシにひかれる、という話もある(「底無しの池」)。これはその信仰なり共有なりの主催者の更新を示している可能性があり、要注目となる事例。
ところで小県のほうになるが、この多留姫の滝の話とよく似た、というよりその文面をそのまま引いたような、滝ではなく岩の話がある(「丸岩の膳椀」)。おそらく多留姫の滝の話を参考に書かれたのだろうが、その舞台が滝でも岩でも同じだ、という感覚があることを示すといえるかもしれない。