いけにえ淵

静岡県富士市


天正の頃、下総から京に修業に上る七人連れの巫女があった。彼女らが毘沙門天の前で一休みしていると、辺りが騒がしい。何かと問うと、茶屋のおかみが、今日は十二年ぶりの贄の淵の大祭で、三股淵に棲む大蛇への人身御供になる女の旅人をクジで決めているのだ、といった。

巫女たちは街道を変えようとしたが、そこへ来た役人にクジを引かされ、一番年下のおあじが贄となるクジを引いてしまった。残った六人は下総へ帰ろうとしたが、おあじ一人犠牲にして帰れるものかと、柏原沼に身を投げた。彼女らを祀ったのが東田子浦駅前の六王子神社という。

当時、湊の対岸前田の保寿寺に之源和尚という高徳の僧がおり、家康公からの命で毒蛇調伏の祈願を行った。之源は百人の僧を集め、西岸水神森から毒蛇に引導を渡した。数十メートルの高さの波が逆巻き、人々は地に伏したが、淵が静まると和尚の傍らに大蛇の鱗が落ちていたという。

これによりおあじは命が助かったが、六人を追って柏原まで来、皆の死を知って自らも柏原沼に身を投げてしまった。吉原宿の人々はおあじの霊を慰めるため、阿字神社を建て祀った。

「広報ふじ」(昭和42年010号)より要約

追記

田子の浦港周辺に語られる有名な伝説。色々な類話があり、上の之源(芝源)和尚が出ず、富士浅間神の威光によって悪蛇が鎮まるとなる筋もある。話の六王子神社や阿字神社は今もあり、保寿寺も伝法に移ったが現存。

しかし、ここではその各々はさておき、相州沼間の海宝寺の開山が上の之源和尚であり、そちらに伝説の龍鱗がもたらされていた、という話(「海宝院寺伝・部分」)から参照するために、簡単に筋の追えるものを引いた。