海宝院寺伝・部分

神奈川県逗子市


開山の僧は、家康公が駿河在城のころ帰依された、富士郡伝法村保寿寺の之源和尚である。三浦郡代官・長谷川公が請うて横須賀の夢想国師閑居の庵跡に寺を建立された。和尚は富士郡から来られた故に、富士山の見える地が選ばれたという。

家康公が和尚に帰依したのは、悪龍降伏の一事による。駿州に悪龍が現れ、万民を悩ませたので、退治の儀が奏上され、家康公が之源和尚に悪龍降伏を命ぜられた。

悪龍は和尚の道徳により即時に退散し、保寿寺にその龍鱗七枚が納められたという。和尚が本院に住山の際、龍鱗二枚を持ってこられたが、昔本院諸伽藍焼失の時に失われてしまった。

『改訂 逗子町誌』改訂逗子町誌刊行会
(逗子市)より要約

追記

沼間の海宝院の由来を語る部分から、之源(芝源・しげん)和尚開山の部分を引いた。もっとも、天正十九年に寺が建立されたのは横須賀のほうで、沼間に寺が移ったのは慶長年間だといい、龍鱗がいつまであったのかは不明だが。

さて、この之源和尚がいかなる人かというと、あの富士市三股淵「いけにえ淵」の騒動を収束させたという和尚なのだ。三股淵の悪竜は富士浅間神の威光の前に鎮まったというが、また之源和尚の降伏によるともいう。

当時保寿寺は伝法でなく田子の浦湊西側の前田にあったわけだが、確かにそちらの伝説にも竜が鱗を残したという。その鱗が逗子の沼間(ないし横須賀)に来ていた、というわけだ。