煤ヶ谷雨乞いの龍

神奈川県愛甲郡清川村


昔、煤ヶ谷は谷太郎部落の天王めいの深い淵には、身の丈二十メートルもある雄龍が住んでおり、二キロほど下った寺鐘の淵にも優るとも劣らない大きな雌龍が住んでいた。二頭の龍は仲が良く、雨を降らせては会う機会を作っていたが、やがて結婚して、天に昇ったのだそうな。

時移り天保のころ、日照りが続いて村人は天を仰いだが、ただの雨乞いでは一向に雨が降らなかった。このとき、ある若者が、雌雄の龍を作り、天王めいと寺鐘の淵に沈めてはどうかと提案した。皆は一も二もなく賛成し、そのようにすると、途端に三日三晩の大雨が降ったという。

『清川の伝承』(清川村教育委員会)より要約

追記

以来、雨乞いには夫婦の龍が作られ、それぞれの淵に沈められるようになったそうな。これは、昭和四年までは行われていたという(「煤ヶ谷村の雨ごい」)。それよりは雨乞いの必要もなくなり中絶していたが、近年「青龍祭」と銘打って、土地の祭として再開された。

とはいえ、この雨乞い伝承は、古い記事には「夫婦龍がいた」という伝説はない。今のところ相模民俗学会『民俗』13号(1955)に祭再開前の最も古い記事を見るが、夫婦の藁龍を分け沈めると会いたさに雨を降らせる、という次第のみがもっぱらに語られている。

これは伝説の発生順序をよく物語る事例なのかもしれない。土地柄ということでは、北東に行って相模川を渡った田名に、じんじい石とばんばあ石を離すと雨が降る、という雨乞いが見え、似た発想のある北相模ではある。夫婦を離せば、という工夫ありきで、伝説は後から生まれるのだ。

夫婦の竜蛇の話は各地にあるが(「男池の大蛇」など)、この煤ヶ谷ほど端的に雨乞いの次第と直結している例はそうない。しかし、その中には先に雨乞いありきだった話が多々あるのではないか。煤ヶ谷の雨乞いは、そう思わせる重要な事例だ。