煤ヶ谷雨乞いの龍

原文:神奈川県愛甲郡清川村


その昔、煤ヶ谷村の真中を流れている大川(小鮎川)は、三峰山系の豊かな水を湛え、あちこちに深い淵を作って流れていました。特に谷太郎部落中にある天王めいの淵は水深五メートルもあり、大岩の穴には身の丈二十メートルもある雄龍が住んでいました。また天王めいを下だること二キロメートル余りの寺鐘の淵には、これまた雄龍に優るとも劣らぬ大きな雌龍が住んでいました。

二頭の龍は大変仲が良く、雨を降らせては、お互いに会う機会を作っていましたが、やがて結婚をし、天に昇ってしまいました。

江戸の天保のころ、日本中日照りが続き食物が不足して大勢の餓死者がでましたが、煤ヶ谷村でも例外ではなく、稲は枯れ、穀物は稔らず村人は困ってしまいました。このため、村人は天を拝み、雨乞いをしましたが一向に雨は降りませんでした。そのとき一人の若ものが、「雌雄の龍を作り、天王めいと寺鐘の渕に沈めたらどうか」と提案しました。

村人は、日照り続きで大層困っていたときなので、一も二もなく若ものの考えに賛成し、早速蛇籠で雌雄二頭の龍を作り、それぞれの渕に沈めたところ、たちまち雷鳴が轟き、暗雲がたちこめ大粒の雨が降出し、その後三日三晩村中に降り続きました。ようやく田植えもでき、その年の秋には稲穂もたわわに稔り村人たちを大層喜ばせました。それ以来、日照りの続く年には、村人は竹で編んだ夫婦龍を作り、雄龍を天王めいの渕に、雌龍を寺鐘の渕に沈め、雨乞いの行事をするようになったということです。

『清川の伝承』(清川村教育委員会)より

追記