下谷弁天物語

神奈川県愛甲郡愛川町


大正時代の話。上熊坂の漁の好きな源爺がその日も鮎釣りに行った。ところが、大水の後で釣果はさっぱりであり、一服つけていると、水の中に丸い異様なものが見えた。探ると、それは二〇cmほどの丸さで、蛇がとぐろを巻いた石の像だった。

持ち帰ってはみたが、気丈な妻のおキン婆も、さすがに蛇は苦手だった。それで隣の観音講の先達をしていたおカネ婆に見せると、そりゃ弁天さんだ、譲ってほしいという。それで蛇の像はおカネ婆の床の間に祀られることになったが、その霊験はあらたかであったそうな。

その後、おカネ婆は下谷の孫のもとに移り、弁天様は下谷に寄付された。大水に苦しむ下谷の人たちはよろこんで、かつて切れて修繕された土手に弁天様の祠が造られた。やはり霊験はあらたかで、寄付金が集まりすぎて人形一座を呼んだり、田名の奇麗どころを呼んだりもしたそうな。

それから半世紀、弁天様のご神体は、ある事情でまた中津川に帰されてしまい、今は祠だけが無残にある。川も汚れ移動され、祠付近も宅地になるという。それでも、下谷の大水の心配がなくなっただけでも弁天様の加護だと思いたい。

『愛川町の小祠・小堂 ─中津地区─』
愛川町文化財保護委員会
(愛川町教育委員会)より要約

追記

引いた文が書かれた当時は下谷の弁天さんも大分みすぼらしくなっていたようだが、今は小さいお宮ながらしっかり構えられている。文中にもあるように、中津川に沈んでいた蛇の石像そのものはもうないようだが。

話は引いただけのことで、その筋にどうということはないのだが、蛇の石像の出所というのは気になる。確かに中津川を流れ下ってきたというのなら(直前に大水があったとある)、すぐ上流部に角田の弁天さんがあるのだ。

角田の弁天さん(市杵島神社)は、さらに上流から分かれたところの塩川滝へ江の島の弁天さんが向かう途中休まれたところという(「塩川滝の由来」)。下谷の弁天さんも「江之島神社分霊」と看板が立っている。