十二所権現縁起・部分

神奈川県中郡大磯町


白岩権現 神馬白毛なり、氏子白馬を持たず、旅にても白馬には乗ることなし、御社を造立し奉りしより以来御方便あらたかにして五穀実成り成就し、祈るとしも祈る事叶はずと言う事なし。或時六所明神祭祭礼として、一ノ宮寒川明神、八幡(やわた)八幡宮、四ノ宮四ノ宮明神、当所御社の前通り往還を御通りの時に魔神出て道の障りと成るを此権現出させ給ひ彼れを禁(いましめ)難なく通させ給ふなり、それより一ノ宮は礼して神前除けて今浜を通らせ給ふなり、八幡、四ノ宮は末社宇賀神の社に礼して森を裏廻らせ給ふなり。ていれば往還の旅人此御社のまへ通りにて落馬し、或はけしとび、或は倒れ伏す事日々なりけり、さるから御湯を捧げ御告にまかせて、社地を遷し御名を改め奉るものならし。(宝暦六「十二所権現縁起」より部分)

『大磯の今昔(二)』(鈴木昇)より

追記

「十二所権現縁起」は個人蔵なので、その全文は未見。ここでは『大磯の今昔』に載せられているものから、宇賀神の事を記しているところを引いた。十二所権現は、明治の神社改めで、白岩神社となった。もっとも十二所権現となる前はまた、白岩権現といったと、同縁起にある。

白岩神社は今も地域の鎮守として立派にある。従来は伊弉諾命・伊弉冊命二柱を祀る社とされ、現在も神社庁のほうではそうなっているが、上の「十二所権現縁起」が土地の旧家で見つかったことにより話は一変した。

縁起によると、あるとき土地の童が神がかり、大和国広瀬の神であると唱えたためこれを祀ったものという。これにより主祭神は若宇加能売命と改められ、現在社頭にはそうある。

その白岩神社さんが、国府祭の神輿の渡御を大蛇となって邪魔した宇賀神さん(縁起には魔神とあるが、「宇賀神社さんの事など」)の本社であり、これを縛めたとあるのだから問題だ。

白岩神社はやや西に遷っているので、宇賀神社はもとの白岩神社から海へまっすぐ向かった参道入り口のような位置にある。以上が間違いないなら、白岩神社は国府祭に大きく関係するような神格であった可能性が強い。

そして、その白岩神社さん自体にも蛇の話がつきまとうのだ(「白岩さんの蛇」)。これは一体どういうことだろうか。末社と記されている宇賀神さんと同体と考えられるのか、どうか。