へーべー塚
神奈川県高座郡寒川町
読み書きなどしなかった頃から、口伝えでへーべー塚と言い伝えられてきた。これが蛇のことだといわれたのは、そこに大きな蛇が出たことによる。
へーべー塚は今のごみ捨て場の真上にあったが、一面の芦原で、百姓は肥料にするため朝草刈りに行ったものだった。それで源さんという人も草刈りに行ったのだが、一丈もある芦の上から人の足くらいの太さの蛇が顔を上げた。
源さんは驚いて、籠も鎌もほっぽり出して逃げ帰り、三日も寝込んだそうな。それで蛇塚だということになったが、掘り起こすと貝や黒曜石が出てくるので、貝塚だったのじゃないかと思われる。
『さむ川 その昔を語る 第一集』
(寒川町郷土研究会)より要約
追記
菅谷神社から東のほう、越の山公園とある北側に蛇塚はあったという。岡田は塚の多くあったところで、十三塚などもあった。また、釣手土器なども出た縄文遺構の豊富なところでもあるが、蛇塚が貝塚であったのかどうかはわからない。
おそらく同じ塚のことと思われる話が別に採取されており、そちらでは葦原が拓かれた際、多くの蛇が殺された供養の塚だという(「蛇塚」)。よその蛇塚にもこういった話の違いはままあるものだ。
また、そのあたりが胡乱ということになると、ここにも平兵衛さんが係わらなかったか、と疑いたくもなる。時折、平兵衛の名が蛇の話を呼ぶことがある(「坊所のヘービ坂」など)。