泣ん面山

神奈川県三浦郡葉山町


二子山の麓に鰻淵があり、鰻が沢山いた。その鰻も皆人に捕られてしまい、最後に残った主という大鰻も網にかかってしまった。捕らえた人が背負って帰ると、大鰻は人間のように「いやだいやだ」と叫んだという。

また、山から平地に出たところで、大鰻を七つとかに切ったが、大鰻は涙を流して泣いたそうな。それで、大鰻を背負ってきた道を「しょい越し」 、鰻が嫌だと叫んだあたりを「いやだヶ谷戸」、鰻が泣いたところを「泣ん面山」と呼んで、今でもその名が使われている。

『伝承 百話』石井悦五郎
(私家版)より要約

追記

この話は現在では、七日に渡って婆さまにその身を切り出された大鰻が、八日目に最後に残った頭で婆に大声をかける、という形で語られる(「桜山大山とウナギ淵の伝説」)。「タコの足の八本目」の話型の影響が強くあったと見える。

しかし、現状もっとも古い採取例である上の話を見ると、もともとはそういった色合いは弱い。七つに切ったという部分はあるが、蛸の足のようにそれを日ごとに運んだという風ではない。物言う魚の話で地名を説明した話であったようだ。

なお、桜山大山・二子山の南には上山口の唐木作という土地があり、三島神社がある。石井によると唐木作には鰻の禁忌があったといい(『郷土誌葉山 第6号』)、関係も考えられる。