オイノクボの大蛇

神奈川県綾瀬市


小園のオイノクボは昔人家のない所で、大蛇が棲んでいた。寺尾には釜田という所があって、水が湧き出しており、オイノクボの大蛇が行ったり来たりし、途中の草木がなびいていたという。

ある時、お爺さんが草刈りにオイノクボに行ったのだが、一服しようと松の木が横倒しになっているのに腰かけた。そして煙草に火をつけると、腰かけていた倒木が動き出した。それは松の倒木ではなく大蛇だったのだそうだ。

お爺さんは鎌も何も放り出して逃げ帰ったが、寝込んでしまい、二、三日のうちに亡くなったという。また、オイノクボは大犬久保と書きもする。谷戸川の源流あたりだ。蛇は恋しい蛇のもとへ通っていたのだともいう。小園原にはその蛇の通った跡がずっとついていた。

『小園の民俗』(綾瀬市)より要約

追記

綾瀬市小園には子之神社があり、そのあたりの話だろうと思われる。子之神社といえば普通は鼠なのだが、ここは「元々は、子之社は蛇の神様で蚕に悪い鼠をよく捕るということで柏ヶ谷の方からお参りに来る人がいて……」云々とあり、寺尾と夫婦の神でこちらが奥さんだともいう(同資料)。と、引いた大蛇の話と呼応している。

小園の西側には目久尻川が流れているが、遡った座間市栗原に白髪弁財天神社があり、また養蚕の守護神であり、蛇が通った伝があり(「弁財天社」)、と同様するモチーフを併せ持っていて関係が気になる。

また「原を分けて移動する蛇」の話への連絡もしておきたい。ここから南に茅ケ崎平塚と、相模川の形成したかつて湿地の葦原にはやはり野分を大蛇の移動と見立てた話が見える。殊に、茅ヶ崎矢畑の「蛇塚」の話などは、プラスアルファの要素も見えて興味深い。