地蔵堂の雨乞い

神奈川県南足柄市


日照りが続き、いよいよ食うにも困るとなると、雨乞いの相談がまとまり、村中の男たちが滝へ向かう。男たちは蓑笠をまとい、雨中の田植えのようないでたちである。名主と組頭は尺竹の竹筒を持ち、滝前で滝の神に祈願し、水を汲むと、今度は揃って足柄峠へ向かうのだった。

足柄峠には聖天さんの池があり、峠の一番高いところにあるのに干上がったことがないという。そして、池をかき回すと雨が降るのだといわれていた。そこで、炎天の中蓑笠を着て、汗でずぶ濡れになりながら池に赴くのだ。皆は聖天堂に集まり祈願すると、すぐに裏の高いところの池に急ぐ。

そして、竹筒の中の夕日の滝の水を池に注ぎ、池の神に祈願しながら池をかき回すのだ。この池の底は小田原の海に通じていて、その穴が塞がってしまうと旱天になるのだといわれていた。それで、呼び水を入れてかき回し、池底からごろごろと石の音がすると、塞がった穴が開いて雨が降るのだという。

このときも、かき回すうちにごろごろ石の転がる音がし、なおもかき回し続けると金時山にわき立った雲が西に流れ、恵みの雨となったそうな。(生沼清治「民話 地蔵堂の雨乞い」より部分)

『史談足柄 第26集』(足柄史談会)より要約

追記

地蔵堂(地名)には、伝説の長者の家に蛇が妾となって入り、聖天堂に祀られることになった、という話がある(「四万長者の妾」)。聖天さんの池は地蔵堂のみならず、周辺麓の村々で雨乞いの池とされるが、そういった話が背景にあるのだと思われる。

また、雨乞いの作法として「池をかき回す」というのは各地で行われ、一般にその池の主を怒らせることによって雨を降らせるのだ、と説明されるが、地蔵堂の話は少し違っていて面白い。上の話は、明らかに「水の道」のようなものが想定されていて、その再開通が雨を降らせるといっている。聖天堂の聖歓喜天像は小田原の早川に漂着したものと伝わり(「足柄山の聖天さん」『史談足柄8』)、この水の道はそれを反映しているのかもしれない。

駿東郡側小山町のほうでは、やはり池の主を怒らせるのだといってはいるが(「聖天の池」)、伝説の流れからいって地蔵堂のほうがより深いつながりを持つものと見え、そちらでの「水の道」のイメージは重要といえる。