民話 地蔵堂の雨乞い・部分

原文:神奈川県南足柄市


(前略・日照りが続き、雨乞いの機運が高まると)

それと同時に村中の男たちが、ぞろぞろぞろぞろと、滝の方に登ってき始めました。よくみると仕事着にわらじばき、その上に蓑をきて、菅笠をかぶって、ちょうど田植の時に雨の中で働くいでたちで、かんかんと照りつける、道の草も枯れ始めている道を、汗を流しながらかけるように集ってくる姿は、如とも異様な感じでした。名主さんと組頭は、尺竹でつくった水をいれる竹筒をもっていました。こゝで一雨降ってもらわなければ、家のものに食べさせるものがなくなってしまうという、ぎりぎりの線まで追いこまれての雨乞いですから、みんな真剣でした。

滝の前に村中の人が集ると、名主さんの音頭でみんなで、「滝の神様、どうか一雨お恵み下さい。滝の神様どうか一雨お恵み下さい。……」三回悲壮な声をふりしぼってお祈りしました。そして名主さんと、組頭は「お水をいただきます」といいながら、持っていた竹筒に、滝の水を一ぱいいれました。これをいただいて、そろって足柄峠に向いました。

足柄峠には、「聖天さんの池」という小さな池があります。この池は峠の一番高い所にありながら、何とも不思議なことに、どんなに日照りが続いても、決して干上ったことのないという池です。そしていたずらにでもこの池をかきまわすと、すぐに雨が降ってくると昔からふもとの村々でいわれている不思議な池でした。この「聖天さんの池」をかきまわして、雨乞いをしようというのです。

滝から峠までは一時間位かかります。それが急な坂道で、炎天の中を蓑笠のいでたちで登るのですから、全く大変なことです。村人は川の中からとび出したように、全身汗にずぶぬれになりながら、やっとのことで峠の八郎兵衛茶屋の隣りの聖天さんにつきました。正面の大鳥居をくぐり、本殿の前に集り菅笠をとり、「どうか一雨お恵み下さるようにお願いしに、蓑笠でまいりました。是非お助け下さい」と深々と頭をさげてお参りして、すぐ裏山の高い所にある池へと急ぎました。

池につくと名主さんと組頭はみんな代表として、急な坂道をかつぎあげて来た太い竹筒の栓をとって、「池の神様、是非有難いおしめりをお恵み下さい」ととなえながら、竹筒の水を池にそそぎました。竹筒の水はこく・こく・こくと音をたてながら池にそそがれました。この水が出終ると同時に、村中の人が持っていった竹竿で、勢こめて口にとなえごとをしながら、力一ぱいかきまわし始めました。

昔からこの池にはこんないい伝えがありました。それは「この池の底は、遠く小田原の海までつながっているので、どんなに日照りが続いても干上らないのだ。ところがこの海までつながっている穴が、何かでふさがってしまうと、晴天続きになる。そうなった時には、夕日の滝の水を呼び水にして、この池を威勢よくかきまわすと、がたがた、ごろごろと石のころがる音がする。するとそのふさがった穴があいて、池の底が小田原の海に通ずるのだ。池の底が大海に通ずると、てきめんにききめがあらわれて、雨が降ってくるのだ」ということでした。

村中の人は昔からのいい伝えの通り、夕日の滝の水を池に入れて、大きな声で祈りごとをとなえながら、力の限り池をかきまわしました。そのうちに、池の底の方でごろごろっという音がしだしました。村人たちはここだということで、いよいよ勢をつけてかきまわしました。するとそれまで富士山の中腹まで晴れあがっていて、御殿場の村がよく見えていたのに、急に金時山の方に涌き立った雲が西方に流れて、またたく間に富士山はおろか、そのふもとの村々も全部黒雲に包まれてしまい、雨がぱらぱらとほおにあたってきました。「やったー。」と村中の人々は歓声をあげ、なお一層勢いづけて池をかきまわしました。峠の上は夕方のように薄暗くなり、目の前の金時山も全くみえなくなり、雨足はいよいよ強くなり始めました。村中の人たちは久しぶりに雨にぬれながら、天から黄金が降ってきたのだなどといいあい、にこにこしながら峠を下り始めました。

今まで日照りでぐにゃりとたれ下るようになっていた畑の作物も、久しぶりの雨ですっかり元気をとりもどし、青々と茂り始め、やっと安心して楽しい秋を迎えることができるようになりました。

この話は地蔵堂で実際に行われてきたものを、民話風にまとめたものです。まとめるにあたり、地元の佐藤喬、佐藤正治の両氏に大変お世話になりました。

生沼清治「民話 地蔵堂の雨乞い」より部分

『史談足柄 第26集』(足柄史談会)より

追記