弁財天のお告げ

神奈川県座間市


龍源院は応永五年の開基といい、一旦中絶したが慶長年間に中興された。その二世の実州存貞大和尚の夢に蛇身の神が立ち、裏の山林に自分の白骨があるから供養してもらいたい、といったという。和尚が裏山に行くと確かに白蛇の死体があり、和尚は瓶に納め懇ろに供養した。

すると神は再度夢枕に立ち、今度は弁財天として祀ってくれ、という。和尚はその願いを聞き、石で蛇身の弁財天をつくり、裏山に洞穴を掘って安置した。その何代目か後の和尚が蛇の頭の上に竜頭観世音の頭を載せたといい、今もそのようになっている。

関東大震災の時には洞穴も崩れて浅くなり、昭和五十二年には場所も移されたが、養蚕のころはこの弁天からの護符が鼠を避けるとお参りする人も多かった。鎌倉銭洗い弁天のようにそこに湧く清水でお金を洗うと倍になるともいう。

『座間市史6 民俗編』(座間市)より要約

追記

龍源院の湧水には今もこの大きな蛇身の石像がある。パッと見は新しいものに見えるのだが、引いたように古いものらしい。場所は鈴鹿明神社のすぐ隣でもあり、鈴鹿明神社の伝にいう、蛇体となって合力した弁天とはこの龍源院の弁天かと思っていたが、そういうわけではないらしい。

蛇が寺に大いに関係するというのは、すぐ東の古刹・星谷寺もそうで(「星谷寺観音縁起」)、このあたりの好みといえるのかもしれない。鈴鹿と有鹿が大蛇の神戦をしたという土地柄なれば、さもありなんという風ではある。

しかし、このような寺の蛇の話は鎌倉から横浜のほうに見る話に似ても見えるが、そこには少し注意がいるかもしれない(例えば星川の北の「正観寺の弁天」なども穴に埋もれたので掘ってくれと夢に出る)。

こちら県央部にはそちらのほうとはまた異なる「横穴」の文化があるのだ。このあたりの南北に延びる丘陵は、脇から横に穴を掘ると水が出る。これを横井戸といい、土地の水源として重要とされるものだった。龍源院の今石像が置かれている穴もそのような湧水である。

それは蛇神といわれる有鹿の奥宮である湧水もそうであり、横穴に祀られる蛇とは、この地ではその横井戸と併せ考えねばならぬ存在なのだ。横浜のほうと同じような、と簡単にいえない点がそこになる。