弁財天のお告げ

原文:神奈川県座間市


龍源院の本堂裏の洞穴に蛇身の弁財天がまつってある。蛇身は五重にとぐろを巻いたお姿の石造りで、たかさ一二八cm、底辺の直径一二〇cm、重さ九四〇kgあるみごとなものである。

その頭上には天女の頭が載っている。この寺は応永五年の開基で、その後いったん中絶しているといわれるが、慶長年間に再興されたという。蛇身の神が二世実州存貞大和尚の夢枕に立ち、「裏の山林に私の白骨があるから、供養してもらいたい。」とのお告げがあった。翌朝、和尚が裏山に登っていってみると、夢のお告げのように、白蛇の死体があったので、和尚はそれを瓶に納めねんごろに供養した。すると弁財天は再度、和尚の夢枕に表われ、今度は弁財天としてまつってくれという。そこで和尚はその願いを聞きいれ蛇身の弁財天をつくり、本堂の裏山に深さ五間の洞穴を掘り、そこに安置した。その後、何代目かの和尚が弁財天の頭上に竜頭観世音の頭を載せたとの伝えがある。

明治・大正までは、毎年三月に例祭をし、芝居や神楽をし多くの信者の参詣もあった。大正十二年の関東大震災で、洞穴の一部は崩れ落ち浅くなり、深さも三mほどに縮小された。この弁財天からの護符をいただき蚕室に張ると蚕がねずみの害から免れるといわれている。養蚕豊作祈願のためにおまいりする人も多かったという。

この弁財天も、昭和五十二年の巳の年に本堂東側の清水の湧くあたりに移され、十二年ごとに巡ってくる巳年に祭が行なわれる。ねんごろにまつられ近年とくに参詣する人が増え、多くの信仰をあつめている。

参考:龍源院弁財天

龍源院の境内裏手には湧水源があり、そのかたわらには弁財天も祀られていて、とぐろを巻く大蛇の頭上に老神の頭部をのせた姿の石像が安置されている(写真6−20)。これはもと裏山の洞窟内に祀られていたもので、昭和五十二年(一九七七)に現在地へ移された。『皇国地誌』には「宇賀神ノ石像 長三尺横三尺八寸、勧請歳月詳ナラス、按フニ、境内ノ山脚ニ一湧水アリ、流レテ若干ノ水田ニ灌漑ス、因テ其水源守護ノ為ニ勧請セシナラン」と述べられているが、江戸時代の地誌類には「龍天」「龍天善神」などと記されている。

この弁財天にまつわる寺伝は次のようなものである。寛永十三年(一六三六)、当山二世実州存貞和尚の夢枕に白蛇の神が立ち、寺の裏山にあるわが遺骸を葬るようにと告げた。翌朝和尚が裏山にいってみると二尺の白蛇の死体があったので、それをねんごろに供養したところ、蛇神は再び夢枕に立ち、今度はわれを弁財天として祀るようにと告げた。和尚は裏山に洞窟を掘り、蛇体の石像をそこに安置したが、後に蛇の頭上に男神の頭部が付け足されて宇賀神の姿になったという。

大戦前には多くの人々の信仰を集め、三月の縁日には芝居や神楽が上演され、眼病平癒・養蚕安全の神として深く信仰された。特に養蚕農家が弁財天の神札(図6−2)を受けてきて蚕室に貼っておくと、蚕の天敵であるネズミが蛇神をおそれて近づかず、豊蚕の利益があるとされ、かなり遠方からも熱心な信者が参拝に訪れる。鎌倉の銭洗弁天と同じように祠前に置かれた竹ザルに金銭を入れ、湧水をそこにかけると倍に増えるといわれている。

『座間市史6 民俗編』(座間市)より

追記