豊受神社のショウガ市

神奈川県海老名市


杉久保の豊受神社には昔釣り鐘があった。ところが、ある人が鐘を撞いたところ、後ろにいた人に撞木が当たり、その人の片目を潰してしまった。それで鐘は不吉に思われ、また神社にはあまり用もないものと、南の長安寺の弁天池に沈められてしまった。

幾らかの歳月がたった頃。弁天池は雨乞いの池であったが、その雨乞いの折、豊受神社の鐘が沈んでいるというのを確かめてみないかという話になった。それで引き上げる作業をしたが、竜頭までは水面から上がったが、それ以上はどうしても上がらず、皆諦めたそうな。

そして、その直後から村には疫病が流行り、鐘を引き上げようとしたからだと、ますます鐘の不吉さが意識されるようになった。このようなことがあってから、豊受神社の例祭にショウガ市が立つようになり、薬になる・目に良いと喧伝された。鐘の障りの厄除けの意味で始まったのではなかろうか。

『海老名むかしばなし 第2集』
(海老名市秘書広報課)より要約

追記

県央部では旱天に寺社の鐘を運び出し、川に漬けるなどする雨乞いが盛んに行われた地域なのだが、ここでは鐘そのものには雨を降らせる験は語られていない。もとは鐘を引き上げようとすると雨が降るというような話だったものか。

それよりも鐘が忌まれて沈められた、という点の方が強調されている。綾瀬市の総鎮守・五社神社には鐘を嫌う神がいて、鐘を池に沈めてしまったという話があるが(「お宮の釣鐘」)、こちら豊受神社の話も併せて思い出したい。

しかし「片目」というモチーフが沈鐘の話と交錯する事例はあまりない。単に鐘と目というならば、「三井寺の鐘」をはじめとする蛇女房の話が多くそうなのだが(これは両目だが)、沈鐘伝説のほうでまで関係してくることはあろうか。あるとすればそれはどのような意味だろうか。