天神森の若い衆

神奈川県海老名市


文化十年生まれの曾祖父は筆まめで、沖田の大蛇のことや社家の大蛇のことを書き残したが、江戸末期の身近な大蛇の話も書いていた。大谷の田の中に天神森というところがあって柴の大木があったが、その空洞に大蛇が住んでいたという。

八寸土管位の太さだったというから、見たら腰を抜かすほどの大蛇だ。日暮れに夕涼みをしているのが見られたが、鱗がぬめって光り不気味で、近くで仕事をする人たちは、早目に仕事を切り上げていたそうな。

近くに中新田に通じる大縄があって、人通りも多かったが、大蛇が見えると「若い衆(わかいし)が出ている」といって、皆引き返してしまったという。柴の大木は安政三年の大風で倒れ大蛇はいつの間にかいなくなったが、柴の根株は昭和の耕地整理のころまであったという。(小島直司)

『海老名むかしばなし 第9集』
(海老名市秘書広報課)より要約

追記

原話では「大蛇後日談」の後段に書かれる話だが、内容は全く別の大蛇のことなので分けて独自に題をつけた。大谷の天神森というのが正確にどこであったのかはよく分からない。

大縄というのは海老名を東西に横切る通りで、古代の条里制の名残ともいわれるが、中新田に伸びる大縄というのは大谷の天照寺の西下から厚木駅南に延びる五大縄のことだろうか。

ともあれ、話自体は幕末頃にそのような大蛇がいた、というほどのものなのだが、その大蛇が「若い衆」と呼ばれていた、という一点が目を引く。

新潟や葛飾に大蛇を「おじ」と呼ぶ例があって(「槇の屋のおぢ」など)、相模でも三浦半島にそういう話がある。おじは概ね叔父であるのだが、年長の意ではなく弟の意が強い。「若い衆」は、これと通じる呼び名なのではないか。