私の泳いだ彦六ダブ

神奈川県海老名市


私の家の土地にはかつてのダブの続きと思しきところもあって、竹やぶで煤竹や門松の竹を切ったものだった。ダブは一反五畝を丸くしたくらいで、相模川の鯉が産卵に上ってきてそれはすごい光景になることもあった。

彦六ダブと呼ばれたのは、昔、彦さんという人がダブに鉈を落とし、拾おうと水に入って溺れ、それを助けようとした六さんという人も溺れてしまった所からそういうようになった。私の兄に彦八がいるが、その彦さんの名をもらったものじゃないかと思う。

そのダブも跡形もないが、鳩川が河川改修で流れを変え、また明治四十年頃の大泥土流のために一気に埋まったことが消滅の大きな原因だろうか。(伊波菊次郎)

『えびなの歴史』第4号
海老名市史編集委員会
(海老名市企画部市史編さん室)より要約

追記

「彦六ダブの話」といって、ヨキ淵の伝説が語られるダブ(淵)なのだが、その跡地にかかる家に住み、ダブがあった頃泳いでいたという人の話では、かくのごとき次第となっている。

直近の人にこのように捉えられていたダブに、ヨキ淵の伝説が語られるようになったのはなぜだろうか。伝説が形成される両端の話が得られている事例である。