大蛇ノ燒死シタル事

神奈川県伊勢原市


上子易の西に森があり、倶利伽羅龍王が祀られる大山不動一の滝がある。その畔に榎の大木があり、龍王に捧げる釜を据えた三脚が、自然と根付いて一本の大木になったものという。大木にはウロがあったが、明和三年六月、風の激しい夜に、雨降山(うこうさん)より火の玉のようなものが飛んできて、榎のウロの中から燃え上がった。

上子易のほうへ風が吹いていたので、里人は上を下への大騒ぎとなり、大山橋本坊へ鎮火の護摩など依頼し、自分たちも消火に奔走したが、雨中に燃える火であり、容易には消えなかった。ようやく火がおさまった時には、橋本坊の護摩も三座になっていたという。

幸い里の家の類焼は免れたが、焼けた木に近付くと血生臭くて仕方がなかった。捨て置きもできないので、ウロの中を掻き出して見ると、蛇(じゃ)の骨らしきものが沢山出た。頭らしき廻り一尺二寸ばかりのものもあった。全て骨は川に流されたという。

自分は、諏訪坂の半兵衛とこの地を実見したが、他にも火玉を見た者が何人かいたという。皆が考えるに、木のウロに蟠踞した大蛇が嵐を呼んで昇天しようとしたのを、里の被害を哀れんだ石尊権現が、悪蛇を焼き殺したのだろうということだった。

『大山不動霊験記』(寛政四年)より要約

追記

原題は「相州大住郡子易町ノ裏ノ森ノ古木ノ空ノ内ニテ大蛇ノ燒死シタル事」とあり、寛政年間に書かれた『大山不動霊験記』にある一話(神奈川県立図書館「神奈川県郷土資料アーカイブ」でPDF資料が公開されている)。江戸の大山詣の流行とともに、この記の話は繰り返し喧伝されたようで、土地の昔話としてもほぼほぼ同じ筋で採取されている。

昔話では、場所が子易の諏訪神社の裏手の滝だという。上の一の滝というのは不明なのだが、現在諏訪神社というと大山三の鳥居のやや下に鎮座される諏訪神社さんかと思う(もう滝はない)。また、後日談として、付近小蛇が悪戯するようになったなどとある(伊勢原市史編集委員会『伊勢原の民俗 大山地区』)。

同様の焼き殺される大蛇成敗の話は、高部屋地区一之郷北にも見え、そこでは山神社に棲みついた大蛇が天日に焼かれている(「大蛇の話」)。石尊権現の火とはないが、上の話の広く語られたゆえの筋ではないかと思う。

子易の話で面白いのは、火玉の降るタイミングが、大蛇の昇天を止めるためと語られているところにある(しかも明和の話である)。各地の大蛇の焼かれる話でも嵐の日であることがままあるが(「水穴権現の大蛇」など)、どこもこのような意味合いがあったのかもしれない。

また、その水穴権現の話にもあるように、この系統の話には、悪蛇と神仏の対立というだけではない可能性があるところにも注意を払いたい。大山にも雨を降らせる竜神の性格がある。嵐を呼んで昇天しようとした大蛇にしてみれば親分だろう。