古澤山龍栖寺

神奈川県厚木市


下古沢の奥に龍栖寺がある。荻野の松石寺の末寺で本尊は釈迦牟尼仏だが、寺伝によれば宝徳二年に大綱明宗禅師が庵を結んだのが元であるという。禅師がこの地に錫を留めた際、毒龍を化度したことから龍栖庵といった。

後衰廃したが、元文年間地頭の板倉新次郎が一宇を創立し、松石寺五代の洞庵和尚を開山として再興した。板倉新次郎を開基とし、法名を龍栖院殿桐雲秋晤居士という。

『愛甲郡制誌』(愛甲郡教育会)より要約

追記

場所は厚木市の火葬場の近くで、龍栖寺は今もある。毒龍化度の次第は、上に寺伝とあるが、厚木市老人クラブ連合会『新訂 厚木郷土史』には「当時の縁起に伝えられて居る」とある。中世の縁起にそうあるなら重要だが、市史資料集などには龍栖寺縁起というのは見えない。不詳。

もっとも、あっても上に引かれている以上大幅に詳しい話が見えるとも思えないが、目を引くのは大綱明宗(だいこうみょうしゅう)禅師その人である。禅師は南足柄市の名刹・大雄山最乗寺の二世なのだ。

最乗寺五世の舂屋宗能禅師は、あの江戸の中野長者の蛇体と化した娘を昇天させた僧であるが、また伊豆において悪龍を改心させ、蔵春院を開いてもいる(「竜神さん」)。その先師にまた毒龍を化度した僧がいるというのは見逃せない。

舂屋宗能禅師にそのような話が付いて回るのかと思っていたが、最乗寺の禅師に付いて回る話という可能性が出てきたわけだ。また周辺の寺の縁起にその名がないかと注意すべき点が増えた一話といえる。