梛の古木

神奈川県厚木市


冗談に挿した梛さえ、
 ついたぢやないか、
  思うて添われぬことはない

そううたわれてきた梛の古木が瑠璃光寺にあった。七百年前、一遍上人がこの地を訪れ、同地にあった薬師堂を一夜の宿とした。このとき杖としていた梛の枝を庭にさしたところ、芽吹き育ったものというが、今は枯れて終わった。

一遍の父、伊予国湯月城主河野通広は母と側室の碁盤をさしはさんで入乱れた黒髪を蛇の入乱れて狂うものに見て、男女悪執の一念のおそろしさに、遂に発狂して世を捨て仏門に入った。高野山に登ったのが八才の時、それより十五年、上人は上依知を訪れていたのであった。

一遍上人はこの後相模川を渡り、高座郡当麻に無量光寺を開山された。日蓮上人が佐渡流罪の途次、依知の本間舘にある時、一遍上人は舘を訪れ、日蓮と法論されたとの口碑も残って居る。

『厚木の伝説・厚木地名考』
鈴村茂(県央史談会厚木支部)より要約

追記

当麻の無量光寺は時宗の根本となるが、その前に一遍上人が滞在したことを縁起とする寺が上依知にあって、瑠璃光寺という。そこに件の梛の古木があったそうな。それそのものは定型の話なので良いだろう。無量光寺にも同じ話の梛がある。梛であるのは熊野修験と縁が深いからだ。

問題は中段で、今ひとつ文意が図りがたいところがあるので、そこはほぼほぼ原文のまま引いた。これによると、父の河野通広が妻(一遍の母)と妾の髪が蛇となり争うのを見て出家。幼い一遍もこれを見、連れられて仏門に入った、ということだろうか。

しかし、この話のもとは『北条九代記』にあるのだが、還俗していた一遍の女房二人の髪が蛇となり、目にした一遍が蛇を斬り再出家する、という話である(参考「一遍上人時宗開基・部分」)。

この違いが筆者の勘違いに過ぎないのか、上依知でそのように語られていたのかというのは重要だ。後者であると、なにがしかの土地の思い入れを反映したが故の改変である可能性が出てくる。

一遍には、このエピソードがある故の、女人を妄執から救う聖という側面がある。それは親鸞の大蛇済度の伝説(「花見が丘」など)と比べ見るべきところであり、そこにどのような振幅があったのか、というのは要注意なのだ。