神様はみんなの神様

神奈川県秦野市


大竹が尾尻村から分かれるというときのこと。氏神の八幡さまをどちらの神とするか折り合いがつかず、大もめになって皆困り果てた。それで、神さまそのものにどちらの氏神なのか聞いてみようという者があり、皆賛成して、お伺いを立てることになった。

さて、代表たちが額ずいた後も、なかなかお告げがなかったが、やがて奥の方からコトコトと音がし、驚いたことにひとつの身に二つの頭を持った蛇が現れた。蛇の頭はひとつは大竹を見つめ、ひとつは尾尻を指したという。

そのとき、誰の声ともなく「どっちに分かれても身はひとつ」と聞こえ、皆納得しもめ事はおさまった。それから八幡は尾尻の小丘の上に建て替えられたが、正面は大竹に向けられ、祭の時はその様子を尾尻から大竹に報告することになったそうな。(大竹 古宮喜十郎)

『丹沢山麓 秦野の民話 上巻』岩田達治
(秦野市教育委員会)より要約

追記

尾尻の八幡神社は鶴疇山八幡宮といって、鎌倉鶴岡・茅ヶ崎鶴嶺・平塚鶴峯と並ぶ相州鶴の八幡神社である。尾尻は秦野盆地の大蛇伝説でまま名の出る地名だ(「お諏訪さんと尾尻」など)。

双頭の蛇というのは実際にまれに生まれるが、尾がひとつに頭が二つというものと、尾の方にも頭があるというものの両者がある。この尾尻八幡の蛇は挿絵からすると前者のイメージであるようだ。

ともあれ、託宣を告げるのが蛇、というのは珍しくないが、こういう姿でそれが現れる話というのは珍しいだろう。双頭の蛇が、単に不気味のものというのでなく、物語上の意味を反映して登場する事例としても貴重な話といえる。