鮫川

神奈川県三浦市


狭塚川は鮫川とも称し、三崎志に[大鮫常に此ノ淵底ニ潜ル 若見ル時ハ必風雨起ルト云]とある。その河口部向ヶ崎の諏訪神社は資盈公第一の家臣太郎を祀るが、諏訪社の幟は雨の幟といわれ、祭礼にこの幟を立てると天気が荒れるといわれた。雨が降らないとこの神は来れないともいわれた。

『三崎郷土史考』内海延吉
(三崎郷土史考刊行後援会)より要約

追記

三崎総鎮守の「海南神社」は太宰府より流れ着いたという藤原資盈公なる人を祀るが、三崎と城ヶ島に四人の家臣(太郎・次郎・三郎・四郎)を祀る地があり、その信仰空間が構成されている。

太郎を祀るのは向ヶ崎の諏訪神社だが、土地を占ったときに太郎が「すは」と云われたとか、それで須波の宮であったのを諏訪社としたなどという。ともあれ、三崎の主要な港の奥にあるお宮で、風雨を起こす鮫と併せて漁師たちに重視された神であったそうな。

海南神社本社にも「風の面、雨の面」という龍の面があるのだが、それは「風を鎮める・雨を晴らす」面であるという。また城ヶ島側三郎・四郎の祭場も風雨に関係する(「楫の三郎山」)。