海寶院寺傳・部分

原文:神奈川県逗子市


住僧は神君駿河御在城中御歸依の僧、駿州富士郡傳法村保壽寺之源(しげん)和尚と定められ、御朱印横須賀郷へ十八石を賜はり、依之長谷川公之源和尚を請ぜられ、則當横須賀夢窓國師閑居の庵室跡へ、來錫有て長谷川公と共に當地建立の議定相成て、之源師は富士郡より轉錫の故を以て、富士山の見ゆる當地を敷地とせられ即ち本院建立なり、之源師、神君の歸依を蒙らるゝ所謂は駿州に悪龍現はれ、万民を悩し故に、諸民より神君へ悪龍退治の儀奏す、此時之源師へ悪龍降伏を命せられ、之源師の道徳にて即時悪龍退散す、其實際は駿州傳法村々民より彼の龍鱗を取り保壽寺へ納め、既に什寶と成て七枚を存在す、之源師本院へ住山の際右村民より龍鱗二枚を納め、報恩に備へ有りしも、昔時本院諸伽藍焼失の節失却す、

『改訂 逗子町誌』改訂逗子町誌刊行会
(逗子市)より

追記