かまとり塚・かまかくし塚

神奈川県茅ヶ崎市


西久保分にあった塚だけど、仕事に行ってそこへ鎌をさしておいて、一まわりして帰ってくると鎌がなくなっている。どうしても見つからなかったそうですよ。(高田 水越フミさん 明治34年生 昭和55年7月)

相模線の西方に、小さくなったけれど現在もある。塚のまわりを、三回まわっているうちに鎌がなくなった。(西久保 鈴木嘉男さん 明治33年生 昭和52年12月)

『茅ヶ崎の伝説』
郷土史研究グループ「あしかび」
(茅ヶ崎市教育委員会)より

追記

おそらく、相模線と新湘南バイパスの交錯するあたりにあったと思われる。市史にも現存とあるが、最近の博物館便りなど見ると、跡形もないとある(現地にそれっぽい土盛りなども見えるが)。この塚は宝永の富士山の噴火による火山灰を集めて塚としたものであったといい、鎌塚ともある(市史)。

さて、塚というのは時として滝壺や淵を互換するような伝説が語られる場所でもある。すなわち竜宮の入口とされることがあり、殊に椀貸しの話などにおいてはそうだ(「龍宮塚の椀貸穴」)。

西久保の鎌とり塚はどうだろうか。まず、鎌を取る・隠すというのは十分にその可能性のある話だ。滝淵の娘はヨキ(手斧)をよく取るが、それが鎌であっても別段おかしくない(「鎌取池」など)。

その塚の周りを三回廻るといっている点も目を引く。三回廻るというのは竜蛇の主を出現させるときにまま行われるまじないである(「三回まわる」)。この二点が重なる点でこの塚が滝淵に類する性質を見込まれていた可能性は高い。

北に行って寒川町の倉見駅近くには、焼けた観音堂の灰を集めたという灰塚があるが、下って水神と祀られている。噴火の灰ではないが、そもそも灰を集めた塚を水神と見る向きがこのあたりにあったなら、鎌とり塚もそうであったかもしれない。