太子免の松

神奈川県茅ヶ崎市


明治の初期、太子免に松の森があり、一際大きな松があった。これを切るのを十間坂の某が頼まれ鋸を入れたが、松は倒れなかった。不思議に思ってよく見ると、中にいた大蛇を真っ二つに切ってしまっており、その祟りで松は倒れないのだった。

線香を上げお経をあげ、ようやく大松は倒れたが、某の家では祟りを恐れて跡地に代わりの松を植えたそうな。その松も松喰虫にやられ枯れ、跡形もない。また、昔の人がやった藁人形の五寸釘が、大松に残っていたのを見たこともある。(石黒松蔵)

『十間坂の郷土史』(郷土愛好会)より要約

追記

おそらく矢畑の本社明神遷座に伴い跡地の松を伐採した話(「死にきれ」)と同じということでよかろうと思う。太子免という小字は浜之郷地内となるのだが本社宮跡のすぐ西となり、道続きだ。

やはり十間坂の方でも松の中に大蛇がいたからだというのだが、面白いのはその祟りを恐れて「松を植え」ているところだろう。これは大松の中の大蛇というより、大松が大蛇であったという感覚が強く見えるところだ。

また、こちら十間坂では、その伐った某家以下関係者が「死に絶えた」というほどには語られていない点も目を引く。大概、大変な祟りの話は、一歩当事者から離れたところで語られるものである。この一連の伝説には、そのあたりが表れているかもしれない。