江島縁起・道智法師

神奈川県藤沢市


天平のこと。余綾の道智法師が江の島で法華を誦していると、天女が通い、飯味など供えた。道智は不審に思い、藤の皮から縷(いとすぢ)を作り、針に付けて天女の裳裾にさし、行く先を追った。すると糸は竜窟に至り、針は竜の尾にささっていた。

窟の中には苦しむ声がし、また忿怒の声が、心軽く法師の供養をしたためにこの傷の苦にあった、といっていた。道智は戦慄して逃げたが、竜の言葉がおわらないうちに暴風が起こり、白波が里を四十里に渡って浸した。道智は波にさらわれて竜の口山の頂に運ばれ、ここに竜女は、今より我が山には藤を生じさせぬ、また法師を住まわせない、といった。

『江島縁起』(江島神社真名本)より要約

追記

道智法師とは不詳。同様の記述が(道智とはあらず、山寺の僧だが)貞応年間に書かれた『海道記』に見え、縁起の成立年代を知る重要な手がかりになる部分とされる。

概ね竜体である江の島弁天に針を刺して怒られた話ととられるが、本文を読む限りは、道智の読誦に通った天女竜女と、それをたしなめ怒っている竜とは別のようにも読める。とはいえ、竜蛇が針に苦しんでいる記述としては大変古いものになるだろう。

それにして江の島の弁天さんは色々なところで僧の読経説法を聞きに現れるものである。材木座の光明寺には、その挙句に弁天が帰らなくなったという話もある(「光明寺の善導像と江ノ島弁天」)。

また、手広の青蓮寺には、そもそもそちらにいた弁天(竜)が、弘法大師の護摩の世話をし、孤島に行って待つといった、という話もある(「鎖大師」)。移動する弁天の印象は結構古いのかもしれない。