光明寺の善導像と江ノ島弁天

神奈川県鎌倉市


材木座の光明寺は浄土宗の六大本山のひとつで、本尊の両脇に法然と法然の私淑した光明大師善導和尚の像を祀る。この善導和尚の像は九州で川へ流されたものが十数年ののち、材木座の漁師に引き上げられたという。

昔二尊堂という堂があり、善導和尚の像は弁才天像と一緒に祀られていた。伝説によると、この善導像が抜け出し、山門と総門の間で説教を繰り返したという。そして、江ノ島の弁才天がこれを聞きに来て、大いに感銘を受けたのだという。

江ノ島弁才天は繰り返し島を抜け出て善導像の説教を聞きに来るようになったが、そのうち江ノ島に帰らなくなってしまった。本尊の不在にあわてた江ノ島の人が迎えに来たが、その後も光明寺に行ってしまうので、ついに堂宇を建て両像を祀ることになったのだそうな。

『書かれない郷土史』川口謙二
(錦正社)より要約

追記

光明寺は今も大寺として材木座にあるが、このような伝説があるのだという。弁天像があるのかどうかは知らない。各地にこちらが本当の江の島弁天だとか、一緒に作られた像だとかいうものがあるが、説教を聞きに抜け出てきていたというのは面白いだろう。

それでなくても江の島の弁天さんは、島で高僧が修業するというと出てくるものではある(「江島縁起・道智法師」など)。日蓮宗のほうの七面天女もこの性質は確実に引き継いでいるといえる。