化けものの成仏

神奈川県藤沢市


ここは鎌倉時代の古戦場、相模の黒松といってお宮の続きにも松林があったが、お宮へ大きな化け物が出た。化け物は子どもをさらって食ったりしたというが、その正体はわからなかった。

そのころ、この家のおばあさんが、子どもをおぶってよくお宮へ行っていた。それで子守唄代わりに仏教の「がしゃくしょぎょうぎょあくぎょう……」を唄いながら、泣く子をあやしていた。

すると、おばあさんの前にものすごいけものが落ちてきて、自分は成仏したいと思いつつできなかったが、おばあさんの唄で救われた、といった。それでもうここからは姿を消す、といい消えたという。(石川 男 大正4年生)

『藤沢の民話 第三集』
(藤沢市教育文化研究所)より要約

追記

石川の話。お宮とは鎮守の諏訪神社で、その元地にあったと思しき池には大蛇が棲んだという(「おふくろさんという石」)。今は黒松の森というほどのものは見ないが、藤沢市の木となっているほどに名物ではあった。

おばあさんが唄っているのは懺悔偈で、「我昔所造諸悪業、皆由無始貪瞋癡……」といっていたのだろう。これを聞いて化け物は成仏したということだ。その化け物が「ものすごいけもの」とあって、正体不明なのだが、蛇の可能性がある。

先にいったように諏訪神社には蛇がいたというのもあるが、同石川で蛇の神さまが化け物として災いしたので人身御供をあげた、という話が得られている(「人身御供の話」)。そちらはそちらで、地元の話なのかどうかはっきりしないのだが、これらが同系ということになると蛇の話だった、といえるだろう。