化けものの成仏

原文:神奈川県藤沢市


(ここは)相模の黒松っていうくらい、全国でも名の通った黒松の名産地だけれど。昔、鎌倉時代、北條時代の古戦場にはなっていたらしいけども、この辺りはうっそうとした松林があったらしいんだね。そういう松林が、お宮(諏訪神社)の続きにもあったらしいんだね。お宮はこの上五〇メートルぐらいの所にもとあって、そんで山王様もその地にあったらしい。

そんときお宮へどういうものか大きな化けものが出る。そんでその化けものも時によっては、まあ、子どもをさらったり何かして食ったものらしいんだね。だけども、何が出てどうなるのかわかんない。かかえるような松のごうごうとした中にあったお宮だからね、化けものの正体も分らなかったらしい。

それでまあ、ここの(加藤氏の)おばあさんらしいんだけど──うちは私で十七代ですがね──、「ここのうちのおばあさんだんべえ」とその人(水村氏)は言うんだけんど、子どもをおぶってね、よくそのお宮へ遊びに行ったらしいんだね。お宮へ遊びに行ったんだけど、毎日のことで子守唄もねえもんだから、よく、それ仏教に「がしゃくしょぎょうぎょあくぎょう……」ってある、あれを、おばあさんだから伜の子どもをふすりながらね、それをうたいながらお宮のまわりを、泣く子をあやしながらまわったらしいんだね。

そんなことを何回かくり返していたら、そしたらある日、おばあさんの前へどたーんと落ちたものが、ものすごいけものだったというんだね、まあ、そのけものの曰く、「わしはね、成仏したい、成仏したいと思っていろんなことをしたけれども、成仏できるような道がひらけなかった。しかし、おばあさんが子どもをお守りしながらね、まあ『がしゃく……一切がこんかいざんけ』って、それを子どもをゆすりながらうたってね──うたったわけじゃあんめえけんど、何回か幾日かそういうことがあったらしいんだね──、そのあれで救われて、一切もう今後ここから姿を消す」って言って、その姿が消えたんだと。

(水村)カンエさんがそういう話をなさいましたっけよ。

(石川 加藤吾郎氏 大正4年生・昭和51年4月)

『藤沢の民話 第三集』
(藤沢市教育文化研究所)より

追記