散在ヶ池の精

神奈川県鎌倉市


散在ヶ池のそばに長者があったが、夫婦には子がなく、神に百日の願掛けをしてようやく男の子を授かった。しかし、神は男の子に決して池の魚を取らせぬよういった。

男の子は神次と名づけられ、すくすく育った。言いつけ通りに池に近づけずに育てていたが、ある時知らぬ間に池にウナギを取りに行ってしまった。長者が怒りを恐れ神に許しを願うと、神は神次をもう表へ出さぬよういった。

ところが、家に引きこもらされた神次は次第に瘦せおとろえ、死が迫るようになった。そして、最後の頼みと、一度池が見たいといった。長者は死を前にしての頼みと、これを聞き入れてやったが、池を目にした神次は急に元気になると池に飛び込み、もう帰ることはなかった。水の中からは不思議なうなり声が聞こえたという。

『三浦半島の民話と伝説』菊池幸彦
(神奈川新聞社)より要約

追記

散在ヶ池は鎌倉湖ともいって、明治にできた貯水池で今も広がっている。かつては周辺たくさんの池が散らばっていたのでこの名があるともいい、子どもがよく溺れたので語られるようになった話だという。

その話はというと、一見水神の申し子が水に帰る、多くは娘の話(「お千代の池」など)の男の子版のように見える。この資料の編著者もその線でまとめようとしているのだろう。

しかし、おそらくこれは違うと思われる。まず、この池のほとりの神社・白山神社がかつて毘沙門堂であり、毘沙門の使いのハガチ(百足)のお宮とされる点が注目される。今でもこの白山神社の注連縄は毛羽立って作られ、それはハガチの姿なのだとされる(『鎌倉の民俗』)。

これが長者が願掛けした神であり、すなわち神次は毘沙門天の申し子となるわけだ。そして、上の話では最後省略されているが、実は神次が飛び込んだのち、池の主・竜神の化身ともされた大鰻が神次に殺され浮かぶ、という件がある。また、そもそも神次は目の敵のように池のウナギを殺していたとも語られる(地元新聞「鎌倉生活」No.149・遊蟻舎)。

これは竜蛇(ここでは鰻となっているが)を仇敵とする百足の化身の子の話だったのだと思われる。神が子を池に近づけぬよういったのは、その因縁があらわになって人に戻らなくなるといっていたのだろう。ただ子どもらの溺死を防ぐために語られた話、では解釈の難しい節々がある。